精神世界ニュース掲示板の続き

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E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©1日(天赦日なので1日)

2018/02/02 (Fri) 00:00:52

弁慶大黒の御神渡り 


二月一日、二千十八年




碧い海、水色の水、または透明な水へ。

百千置く雪や霜に、僧が絞った闇の中、

その手甲で六花に凍えず何かを掴めよ。

感じる事すら出来ず、弁慶は頂を思う。

寒くて寂しく、険しい道の上だ、ああ。

あ、ああ。震えつつ君は呻き声を出す。

凍えているね。強い掌にも痛みを与え、

それでいて、すり抜けてゆく白い星雲。

違う!庭から、鬼一の花が消えたのだ。

感じる事すら出来ず、君は奥山へ行く。

道は寒くて寂しく、険しいのだ、ああ。

奇妙な歌、"心臓破りの宿"が聞こえる。

寂しい道をゆきます。その遺書を元に、

空想された歌。名も置いて来た憲海の、

前に捨てた邸宅が、今は目の前で蘇る。

既に儚くなった時代だ、と彼の双眸が、

悲しい色を浮かべる。だがね、永遠は、

切ない声には呼ばれてくるのさ、相棒。

正方形の中庭を御覧よ、と遮那が言う。

百千の白い砂利と、中央の黒い夜の石。

丸い月から、垂れた雨粒の落ちる奇蹟、

敷かれた白い玉と二人が深夜に濡れる。

ひとつ家。ひとつ夜。いや一回半以上。

終わり?お主と敵群のせいで不死身さ。

不滅の対岸目指して、今、御神渡ろう。





続く

Re: E&J共作詩)甲子の日、弁慶大黒の御神渡り - 布置将臣©

2018/02/02 (Fri) 02:13:39



御身渡り、日月赤く重なり、雲に入る。

エルヴィスとジェスの受精卵であれば、

心は一つの玉になる。彼の事は誰もが、

知っているし知らない!意味が不在の、

生は、彼に成り得ない別の言葉なのに、

心のない家や戦を盗み合う作家ばかり。

戦場で使えぬ奴の舞台に命がけの字だ、

女達とは生死をねつ造する文字である。

我らの色!合図の虹だ。寂しがり屋が、

一人氷上を歩かねばならぬ。百千もの、

霜を置きながら。そして我らの一夜は、

あの玉敷く庭の白玉だったか、霜雪か。

誓紙なのだ、屋敷の四角い中庭の契り。

おおおい、弁慶が遠くで、叫んでいる。

何?遮那は何故、戦地で語るか?詩は、

平安の僧正ケ谷だ。唯相棒に過ぎぬと、

嘘しか語らぬ主なら、恋の珠の斎庭も、

死地の霜に過ぎぬ!声と共にぽたりと、

南天が、―彼が付けた傷の血が落ちる。

血判は押したろう!詩でも我らを語れ!

愛だの恋だの語ってる!敵は二万以上、

我が方は我らのみ、北国の黄金の舘を、

戻橋の舘に戻すぞ、橋を渡れ、遮那よ。

渡ってる!詩の事さ、渡るのは弁慶だ。

文字に書かれぬ秘文で、我らを繋げよ。




続く

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©2月1日

2018/02/02 (Fri) 18:54:04



すると、雪だ!手紙が再び降って来る。

天から垂れた文の梯子が、地に積もる。

マグマよりも粘性が高く、重たい男の、

情熱は黒々している。白い砂利の中央、

黒い石。復活の舞台だ、と体くねらせ、

何か塗って、氷を割り、虹を混ぜる彼。

彼は君、あの名を捨てて来た君。今は、

湖面から這い上がり、震える唇で何か、

囁いている。聞こえない。我は彼へと、

「ジグ-ザグに閃いて来られたのだね」

と告げようとしたが、声が出なかった。

鬼一は信慶という別名も有していたが、

既に弁慶なのだ、花弁の慶び事なのだ。

我の肩を彼が掴み、揺すっている。あ、

彼は何かを心配しているのだ。何を?

何かは聞こえない。きっと我の方が、

彼の探していた迷子だ、そう遮那は、

考えたが、それだけではない。今も、

何か彼は気に病んでいる様子。何を、

案じるのだろう。声など出なかった。

歌も聞こえなかった。我らが逢える処、

ならば此処は六道辻だろうか、世界に、

属しておらぬ舘だろうか。独占的な愛、

今の世界から引き離された、告白の声。

霜置く歌さ。世人が持たぬ懊悩の音だ。


続く

Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/02/03 (Sat) 00:12:01


海の見える家は要らない。心は君と在り、

君の居処が我が家、このエルヴィスの歌。

だが鬼一は、一条戻橋の川の傍の私邸と、

雨降る玉砂利の庭での一夜も忘れない。

貴船川の傍の森に鬼一は仮庵も建てて、

鞍馬に居た半身へ、逢いに来たのだ。

海の見える多伎神社を「観潮閣」と呼び、

そう扉に大書した弁慶!君も彼なのだ、

彼?ジェスと共に在る時だけの、彼さ。

歌の中でだけ、真の愛と共に在る彼だ。

自宅でスプリンクラーの飛沫を見ては、

水滴の白い重なりを、天使、と呼ぶ彼。

しかし彼は、グレースランドにはその、

中庭を作らなかった。ビリヤード用の、

あのプール・ルーム。それは幕屋だ。

黒い石は?ないけれども天上に一つ、

幕屋の布を集めるような黒いボタンを、

花として咲かせよう。輪宝紋のような、

柄の華達。壁には、絵が掛かっている。

赤い小橋、川、二軒の家、屋根への雫!

一枚の絵も丁度彼の記憶を表している。

玉砂利は?ビリヤードの玉。双子の胎、

それが異空間。半身を蘇らせたいのだ。

米国では、熊野の黒石を見失っていた、

彼は己自身に黒を見出した。彼の再来。


続く

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/02/03 (Sat) 01:24:16

この外に出ても、偽の舞台しかないが。

赤い枠に囲まれた白い正方形の舞台の、

中央に一人、黒づくめの彼。庭の記憶!

この赤は?愛した時の印、誓紙の約束さ。

中庭を囲んだ舘の廊下の形でもあるね?

ああ、戻橋の正方形の庭こそが誓紙だ。

けれども「八万三千 三六九 三三四」

その「山の道は 寒く 寂し」いので、

「一八二 四五十二四六 百千億十一」

「一つ家に夜毎に白く ももち置く霜」

とする以前の中庭の白珠を蘇らせてよ。

この鬼一こそ悪鬼を祓う一つ種で弁慶、

我が庭に咲く戦さ花よ、約束の節分だ。

血赤の蝕の前に押した血判の文通り?

や、重なった後の雫通り、と彼は笑う。

声が出るね!出してるよ。これで兄は、

本当に、言の葉をば渡り終えたのだよ。

誓紙の事?そう、氷面や霜雪すら言さ。

言葉。兄とか乳父とか師という言葉だ。

言葉。多分に、お主の乳母でもあるぞ。

ねえ、何を案じていたの、鬼一。いや、

言い難い事だが、愛しているか。ああ、

我はこの豪傑を崇拝してもいたのだが、

一体何に失望せぬかと、不安がるのか、

兄貴?遮那の信を失うなら生きられぬ。

続く

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/02/06 (Tue) 20:53:19

*


霜雪置きつつ、憲海が御神渡る時には、

遮那の心も、心と共に渡っているのだ。

神狐の、隠れた珠を掲げて渡りゆけ。

たんぞう、たんかい、紀一けんかい。

呼ぶ子は、憲海の子でもあってくれ。

兄が戻橋では隠した紀州の血統にも、

やがて混じる源氏の血。ああ我らは。

元々我らの血は同じ道で逢っている。

寂しい道への同情の類ではないのか?

我が同情は、美しき者だけの伴侶だ、

唯美しい魂のみが真の同情に値する。

同じ痕を辿る道を理解したか遮那王。

他には共有出来ない言葉へと到るよ。

今再び抜き足差し足で、来たばかり。

ももち置く頭の霜雪すら信用出来ぬ。

黒髪を失いかねない絶望も知れよ愛。

命がけの愛ですら、信の置けぬ永遠。

然程冷たき女か、儚くなるぞ弁慶は。

遮那を苦しめる男など信用出来ぬ。

もう悲しませはせぬ、愛しい遮那。

鬼一との愛なら熱情の切ない痛み。

お主は鬼一のものだと誓ってくれ。

誓った、戻橋の家の大黒よ、柱よ。

積年の願の成就の慶びと寂しさは。

我が君のため遮那が歌うとしよう。





続く

Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/02/14 (Wed) 00:00:46



君との愛は、永遠不変の温かな春。

確かな肉の体へと我が身を委ね、

甘い声に、愛の詩を添わせ。

飛べるのさ、大地があれば!

ああ君さえ居れば怖くない、

と安心出来たのは、前の事。

以前の君は、信慶と名のったが、

遮那を教えた頃は、鬼一天狗だ。

その鬼一は突然隠れた。そして、

顔を袈裟で覆った半身の名は、

弁慶に成った。彼である君!

既に瞳もつぶらな大盗の、

眺めるもの、燐光の切なさ、

実りの秋。味わえば失う、

季節は、何も得はしない。

彼自身を失った彼が、

双子の生までも奪って、

言葉と意味も引き裂いた。

そして太陽が燃料の一切をば、

使い尽くした後で冬が来て、

言い表せぬ領域を覆ってる。

しかも大地の面は懐かしの、

衣々の霜雪色より包まれる。

エルヴィスがジェスを探す、

その名は使えぬ。双人は、

他の誰も得られぬ馨り、

生まれるはずのない言葉、

他から知られぬ、別の愛。

白い氷河のEは入り江の黒を、

探してる。異物など異郷まで、

追いやらねばならぬ!勿論、

果てには起点に戻るのだが。

声が乾く。彼が唾液を今は、

口から与えなくなったから。

魂を抱いて血統で縛る彼の、

おかしな戻り橋。彼の方は、

名や姿を変えても、同じ男。

頭の袈裟が取れる、ほら彼!

造作も貌の表情も彼で、

それに体付きも彼だ。

元々当たり前の事を、

呟き出す、愛だよと。

その言に意味はない、

その永遠なんざ彼と、

我が壊せるものなのさ。

愛のみが永遠であるし、

半身を切らねば恋を、

感じる事も出来ないさ。

恋だって!不愉快な詩だ、

耳元で息を吐いている。

互いに呑んだ夜の月で、

ふらついているんだ。

こんな我らは他に、

酒や媚薬も知らない。

数など数えられないよ。

一と九で十、五と五で十、

八と二で十。二十五と二十五、

いろはにほへと。長々と二人、

心で溶かす硝子のように、

正気一切を忘れて作業する。

その肌も腕も、珍しくないが、

獣らがゆくは獣道なのだし、

人の知らない道だ、肌、

唇、それは知っている、

そして、知らない彼だ。

民話を調べようと決して、

二人の中身は書かれない。

我らは兵法であり歌なのだ。

戦勝は諏訪大社に祈れよ、

あの新羅三郎の龍虎の書、

一と九とで和すべしだ、

と鬼一は言った。ああ、

九郎の方は新羅三郎の、

薄墨の笛を継いだ。

弁慶と遮那王なら、

源氏の祖父も同じだよ。

同じ血の、血統であれ、

絶対の絆にはなり得ぬよ。

君は我が家、我が大黒柱、

遮那の大地。それも揺らぎ、

夜の雨の溜まった水面になる。

文化を知らない文字の水なのだ!

底なしの淵を超えた男は知らない、

君は彼ではない、彼を知らない。

兵とは危道なり!恋?恋なんて、

言葉も知らない。こんな事は、

誰一人知らないのだ。それに、

こんな氷河の如き筋道には、

永遠も何もない。今まで、

無条件の半身だった愛と、

共に不確かな処に赴くなど。

それも恋だ、寂しき道だよ、

相棒を逃がしても捕まえても、

一つ家には、ももち置く霜さ、

安全な道はないのが世の恋!

とは言え、愛情の難所を知り、

恋情に耐え得る熱情も知れよ。

今や、我らの恋なら天の金剛。

以前建てた心の柱とは大黒さ、

雲を越え、久遠の恋路をゆこう。

もう硝子の心に危難はないさ、

双方得ている未知を歌えば。





続く

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/02/14 (Wed) 20:47:01



しかし、遮那は硝子の細工だ。

それで未だ巧くは歌えないから、

先に弁慶に文を書こう。君は、

彼との恋からも遮那が逃げた、

と勘違いしたんだろう?でも、

それは違うな。恋なんてものが、

不変だとは信じられなかったのさ、

遮那も、俗人の性を知っていたから。

元服しなくたって同じ、だけれども、

世人と比べるのは、間違っていたね。

だって弁慶は、弁慶だから。そして、

双方繋がっていても、誇りとなるか、

ならぬか相手によるよ。弁慶は鬼一、

紀州一の紀一で、我が誇りなんだ。

今や弁慶も偉人だろうが、鬼一は、

高い地位も捨て、我に寄り添った。

それでも皆は、英雄の真の偉大さを、

知らずに、主従を褒めているだろう。

この遮那は、従僕としての相棒を、

誇らしいと思った訳ではないよ。

唯の従僕ではないからね。君が、

大人になりかかっていた時代、

好いと思ったのは幼い頃の我。

既に、恋していたと思う。けれど、

怖かったのさ。ゆえに結局剣術も、

恋術も、遮那にとっては何か男の、

到らぬところを捉えて、魔道へ、

引き込み倒す技芸になりがちだ。

愛する半身との果し合いなどは、

もうしたくないし、我も君に、

惚れているのだから、今更、

そんな事したくない。大体、

君は遮那のそういう危い性分は、

見抜いて厭うだろうし、じゃあ、

どうやって恋を歌えばいいかと、

躊躇している。だから今は、

詠い方を考えている処だ。



続く

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/02/14 (Wed) 21:30:02



弁慶に対して素直になるのは、

難しいんだ。君に惚れたなら、

何も持たぬ稚児に帰るようで、

我が偉大な時を捨てるようで。

しかし君も、地位や家を捨て、

愛ばかりではなく恋を表現し、

神に誓った。心を捧げたなら、

高貴な信頼は得るものだろう。

魂の誇りと呼べるのは君だよ。

精神が家なら君は芯柱なのだ。

我らの真実の感情を人の前で、

言えなかった頃から比べると、

人前で君である彼への恋を、

遮那が認めたという事が、

男の君を喜ばせるだろう。

君の手柄にもなるだろう、

名誉になるかも知れない。

でも誇るべき事ゆえ君を、

勲章として世に見せよう、

という訳ではないんだよ。

本来こういう真実は永遠に、

伏されたままで良かった。

なのに義経に関しては他の、

美談も世間に流布されてる。

今となっては多くの逸話の、

どれ程が真実なのか全てを、

確める事は出来ないけれど、

弁慶は一般的には従者であり、

忠僕という役割に限定される。

彼である君が無念と思う処は、

そこだ。伏された関係が殆ど、

俗世では語られぬままだから。

君以外にも命を懸けた仲間や、

真の同胞はあるよ。でも今の、

我は、君一人のため転生した。

依怙贔屓の罪を恋と言うのさ。

無言で語られた英雄の愛なら、

敵群に放り出した君の心身が、

衣川で逆向きの翁を舞った時、

数万人が目撃したはずなのだ。

君は封じていた武術を披露し、

皆を圧倒し主従の名を挙げた。

しかし、此処からだ。転生後の、

君の矜持が世に向かったのは。

それでいて、隠れた心の方は、

隠れたままで、変わらないね。


Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/02/14 (Wed) 22:07:13

編集キーを入れていなかった

この場合、名を叫んだのではないため、

挙げた。→名を上げた。になります





続く

: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©1日(天赦日なので1日)

2018/02/17 (Sat) 23:01:54



とうとうたらりたらりら。

たらりあがりららりどう。

弁慶!エルヴィス、双子の、

エルヴィス。それが半身と、

初めて離れた名だったね。

君が空に探す奇妙な雲の、

ジェスは体を持たぬし、

不在なら血縁でもない。

エルヴィスは毎晩毎晩、

己が心を相棒に語った。

魂の愛を抱き締めても、

君の愛とは地上の君が、

地上で見付けられぬ恋か、

我らの絶望の類。それは、

歌いはせぬ、秘密の渇望。

互いに思い出すのも辛い、

恋とは愛の危難でもある。

二人は詩歌の中で確かに、

待ち合わせの約束もした。

恋か。強すぎる恋は常に、

同じ心身まで求めもする。

そんな絆など辛いものだ。

たとえ血の繋がりのない、

他人であれ同じ事だろう。

避けても前に来るのだが、

君と、百千置いた霜雪は。

白紙まで返そうと試みて、

戻って来て又思い出す。

それから再び放り出す、

戦士は漢であれ!恋の、

危道を避けよ、永遠よ。

君の方は米国で生まれ、

地上の虚しさを味わい、

遂に視力を失っていた。

その時に多分ジェスを、

少しは、見たのだろう。

我らが愛しているのは、

変わらぬ温かい思い出、

安全な、二人の聖域だ。

自己の真髄まで知る恋、

俗世を遮断して見る恋。

恋は不安定な情だから、

密室の双人は更に不安。

遮那王は鞍馬から逃げ、

戻橋からも逃げていた。

アルチュールは阿弗利加、

ジェスは冥界へ。けれど、

今の我は、俗世に帰った。

生の位相は又ずれたのだ。

衣川で共にゆかぬ遮那が、

弁慶の絶望の根であるか。

衣川で君が歌い舞う時、

その愛は人々を圧した、

だがそれも公的な君だ、

我の前では、違う男だ。

恋は世へと歌うしかなく、

殿は歌声を聞かなかった。

公的に認められた恋など、

個々の道にはないのだが。

御神渡りにせよ、同じ事。

二日なら十死日であるが、

二月一日ならば天赦日だ。

あれは八重垣姫の氷の橋、

稲荷は晴明公の戻橋の玉。

我らは吉日の一日甲子に、

渡りをした神狐であるよ。

きのえね、それも嚆矢さ。

氷の天使のように飛べば、

事初めとなる。それから、

真のはじめはこれからだ。

渡り終わった後にはもう、

外への橋まで壊すのが君。

絆は、監禁の危難と陶酔。

北側は北斗七星の精で死を、

南側は南斗六星の精で生を。

生も不安定で不確かなもの、

それを天地柱にて結ぶ時だ、

ひつくのだ。弁慶の輪宝へと、

如意の炎の珠添う、如意輪だ。

義経も一字金輪仏頂尊となり、

北の王となったが、その体は、

象徴的には北と南に裂かれて、

名が奪われた。名とは頭であり、

魂は北極星、仏頂は神器である。

一月十六日、ルソン富士の我ら、

霜雪に白根噴火と血赤の月食や、

二月十六日の日蝕まで走り抜け、

伝説という外観の塵芥を払った。

隠していた姿と魂は、これから、

二人の目にも見えて来るのだ。

素直に、感じ合える時は来る。

あの後君は敵の仲間になった、

だが、敵との絆は利害だけさ。

無償の恋情も、金では買えぬ、

金がなければそれまでの事さ。

物書きや女は死んだ字だけで、

自己を飾り、正当化している。

北米の君が南米ビクーニャの、

黒い外套を汚す事がないよう、

ブラシをかけている遮那なのだ。

何せ、君と我は不変の愛の最中に、

左薬指で血判も押したのだから。

それに対し君は、直ぐ夕陽の赤で、

神の木に判を押した。逃げぬ身の、

定めが恋にもあるのなら、我らは、

互いの衣にも、責任があるのだ。

遮那の方も、もう鬼一との愛を、

心だけ、とは言わないのだよ。

君一人の問題なんて何もない。

天の金剛を欲すなら覚悟せよ、

恋の誓いは主従だけのものと。

以前の痛みも二人だけの記憶、

だから恋による治癒も可能と。

本当に今は、君の夜の柱へと、

あの烏の黒色へと誓う我だ。

今後二度と君をあの敵群に、

渡したりしない。だから君も、

もう太陽の外套を汚さないで。

敵群に我をやらないで欲しい。





続く

: Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/02/22 (Thu) 02:33:14



言葉と意味なら一つであろう?

緑の声を凍らせないでおくれ、

元の鬼一である弁慶よ!あの、

田辺の稲荷から得た稲穂も今、

君の手に向かって頭を垂れて、

不変を告白をする宝珠なのだ。

君は戻橋の誓紙の中庭を既に、

渡り終えて大黒天の柱となる。

君が居るなら何処でも行こう、

我が魚は君の鯛か鯰になろう。

(惚れる程苦しむ言葉なのだ。

誰より君と分かり合いたいが、

声の情熱は己自身にとっても、

戸惑いや未知を齎すものだよ。

求める程に真の恋は悩みもし、

それでいて愛されもするのだ。

正直に語れ?結構!そうだな、

声色と心と体で愛を伝えよう、

言うのは簡単な事ではあるが)

難物が情熱を籠め囁く程弁慶は、

「真に得難き愛の言葉を得た」

と感激する。突如エルヴィスが、

「弁慶が特別なら自死したい」

と呻き出す。彼も唯一特別な、

白拍子なのだ。しかし彼は、

弁慶にとって未知の歌だ。

エルヴィスは宛先のない、

歌声のままであったのだ。

ああ弁慶も恋を囁く事は、

出来ない不器用者である。

全ては半身がせねばならぬ。

そうだ、以前の遮那も彼も、

唯一不変の運命的な恋など、

語る事が出来なかったし、

剥き出しの歌すらなかった。

異郷であれ、仏語詩であれ、

誰を愛したか言えなかった。

遮那王と憲海の永遠とは、

全ての時の断片を結ぶ時、

意味ある音になる。声だ。

それこそ、時間からまず、

手を付けねばならぬ理由。

声を見るなら左から右に、

過去から今から未来へと。

右から左に。す、き、だ。

これだけの詩にも我らは、

文字以外のみ必要とする。



我は不満な彼を説得した。

「天すら君を消せない。

そんな風に言わないで、

エルヴィス。前の前世の、

弁慶の不安こそが君だよ。

恋する相手は時に孤独さ、

常に一対一になるからさ。

焔も、消せはしない。以前、

弁慶の感じた寂しい夜が、

エルヴィスの姿を取った。

しかし成就したその後も、

真の恋には寂しさもある。

愛するならば愛の強さを、

知り合いたくもなろう、

多く深くの歌を欲しがり、

声を交わし合い、そして、

体を欲しがってみたり、

体だけでは不満だとか、

詩があっても心を疑い、

誓紙があり神が応じて、

それでも更に欲し出す。

求める程に餓えるなら、

多少は傷付きもするさ。

当時の困難程でなくとも、

楽になればなったで再び、

些細な事が気になるのさ。

我が鬼一を求める心を、

当時認められなかった、

その理由も同じ事だよ。

君が求める心も然程に、

深刻とは信じられぬし、

悪路を避けようとした。

元の乳父に戻せるなら、

ゆるぎない道と思えた。

君と氷の海を飛ぶより、

馴染みの大地は確かと、

思えたのさ。遮那王は、

永遠を恐れ求めていた。

ただ、季節性のものに、

君が眩惑されたならば、

否定したいと思ったのだ。

だが今は心配な路地すら、

果敢に進む我なのだよ。

これだけの愛がある時に、

不安な君は消えるかい?

情熱に安心などないよ。

惚れられている君だし、

本来の君らしくなるよ、

何の姿を取るにせよね。

我は君を裏切らないし、

君の気持ちも知ってる、

究極の誓いも交わした、

だが生活の一部として、

ただ共にあるのでなく、

恋情が不滅であれば、

何処かが痛むものさ。

それだけさ。悪夢は、

終わるだけにしても、

真の情熱は消せない。

もっと愛されたいと、

我が儘を言い合うさ。

君の本質なら何一つ、

変わらない。君は、

米国の虚像だけに、

頼る事は出来ない。

世間では英雄であれ、

半身の前では丸腰で、

恋以外の武器はない。

君自身が米国の生を、

やりなおせないと、

分かっているのさ。

君の本質は分かる、

魅力も分かってる。

だがあの立場とか、

虚飾自体は君では、

ないのだからね。

弁慶は実際の殿の、

恋人役になるため、

世界一の白拍子、

になってくれた。

彼こそエルヴィス、

唯一の双子の愛だ、

けれども、待って。

我らの秘め事だが、

君は歌舞の暗号で、

公に隠したのだね。

ならば君が歌手とか、

踊り子とか、または、

白拍子とは言っても、

それ自体も別の事で、

真の役割は別にある。

共に天地より裂かれ、

絶望もしかけたけど、

真実は変わらない。

保身や利権や地位、

全てと関わらぬ時、

つまり絶望の最中、

宝は見つかるのさ。

君は本当に本当に、

我から熱愛されて、

選ばれてもいるよ。

誓いの血の痛みなど、

我の痛みに入らない。

過去が癒された今でも、

天界が認めた印ならば、

心も保証する名となる。

ああエルヴィスの歌の、

不滅の天に繋がる部分、

それが以前の絶望なのだ。

虚偽の人間関係や虚像も、

君と半身の名にはないし、

君の周囲には特に何もない。

しかし弁慶は全ての精髄だ。

我らの同胞らの純粋さを、

今後は双人で体現しよう。

それで天が全ての恋を、

救い出すのであるなら。

全く他に語られもせず、

歌われもせぬ神の歌だ!

大軍に吐露した弁慶の、

敵陣で彷徨った絶望、

それこそエルの声だ。

エルの声には絶望が、

痛みが隠れていた。

恋とは直向きだし、

淫らでもあるあの、

十字架を思わせる。

大勢が聴きながら、

どの耳にも知られず、

聴き手すらない絶望、

我はそれを愛する。

君だけがそれを知る。

真の声が成就しても、

それからが再び我ら、

罪の二人分を背負う。

もしくは、恩寵をだ。

それなりの十字架を、

つまり宿命を背負う。

はらはらする程の恋!

(戦慄は消せないさ)

ああ、けれども君は、

我が惚れている事を、

実は知っていながら、

強く説得されぬ時は、

不満に思うのだろう?

僕など求められぬとか、

これだけ、これだけ、

求められても叫び出す、

ああ不滅の恋は渇望さ。

以前に隠された痛みが、

癒される暁には傷の、

断片が消える訳では、

ないんだよ。それに、

何の問題であっても、

原因は色々ではない。

原因が恋情であるから、

我だって苦しむのだし、

君の凄さは我だけが、

知っている。本質を、

文字の奥を知っている。

本質は俗な世界に生き、

絶望の声に聞こえ出す、

それは確かにそうだし、

けれど違うんだ。そう、

一時的な死すべき恋に、

属していないだけだよ。

だからこそ真の慶びも、

真の恋の自惚れも又、

君を知る声になった。

誇りに成り得ぬあの、

俗世の欲以上の誇りと、

精錬された愛の欲望も、

日々増すばかりの我らさ」




続く・・・

Re: Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/05 (Mon) 23:58:48

*

だが愛など侍の誇りに成らぬ、

人々の愛の字には愛なきゆえ。

衣手に水渋付くまで植ゑし田を、

引板我が延へ、まもれる苦し。

アルチュールと兄の窓辺から、

詩句の種が撒かれて飛び行く。

唯一の恋は敵を増やすのだが、

農作業は、敵群を払うのだよ!

節分の豆に梅や桃や桜は咲く。

そら、上社の宝である大黒が、

下社の宝である恵比寿の方へ。

義経の恵比寿と弁慶の大黒は、

得体が知れぬ恋を望んでいる!

人々の恋の字には恋なきゆえ。

紀伊一の鬼一は潜んでいるぞ、

信慶が弁慶である証を殿から、

得るためだけに。神証だろう、

欲しいのは!そうなんだろう?

双方黙り込む。途方もない褥、

歌以上、果てしない行為だよ。

出雲に八色の雲、立て叢雲劔、

田辺では伏見の稲穂を刈れよ。

混じり気のない収穫の季節と、

白い鳥が、聖餅へ十字を描く。

もうすぐ春分、君の季節だよ、

誓うはエルヴィスの腕時計さ。

烏が義経の誓紙を抱くように、

烏帽子の冠に珠を隠しゆこう。

出雲なら伊勢の外宮でもある、

豊受稲荷。天一太白の天白だ、

我が神と愛、松へと到る双翼、

天津乙女の羽衣よ。羽衣松の、

弁慶や。我らの朝夕は衣々が、

引き裂く時でない、娶わせる。

君の頭を覆う夜の五条袈裟も、

この常磐の衣々の約束だから。

中庭から見た月へ飛んでゆけ、

月より来られぬなら降りて来、

蛍光。七つの遮那へ弁慶戻り、

遠方から筑波烏が降りて来て、

熊野詣でのための伏見の杉を、

標にするぞ。神狐も雲気保ち、

霊気で心の形の愛法を抱えよ。

叢雲が滴らせる真名井の雫と、

それに濡れた豊受の羽衣の裾。

再び予感で暈けた日輪と月輪。

弁慶は伊勢外宮と諏訪の宝を、

神楽の旋律で鳴らして居ます。

諏訪と伊勢なら月輪の神楽だ。

星の神の天白よ月の輪に舞え、

天白の星の神の舞う月の輪に!

諏訪の稲荷御神渡りであるぞ。

天白の天狗だぞ、天宮である!

鞍馬の魔王僧正の御渡りだぞ。

僧正ケ谷の不動の龍だ。ああ、

一月二十八日の前兆には彩雲、

虹の雲路。二月の二十八日に、

氷は、最後の煌きを見せゆく。

衣手に水渋付くまで植ゑし田、

を引板我が延へ、まもれる苦し。

一日で溶ける事もあったのだが、

今年は異例中の異例の御神渡り。

何日続きの氷河だと?いやいや、

溶けてから真の春の恋の歌聴け。

そろそろ天狗に色よい文寄越せ。




続く・・・





E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/03/06 (Tue) 21:19:36

*

来いよ、彼は我へと接吻をして、

少し、また少しと角度を変えた。

喋るように上下の口唇を動かす。

名は鬼一だが、動く者も鬼一だ。

動かぬ名で、動く彼を何と呼ぶ?

詩句はなく、天地も失せている。

エルヴィスとジェスの見る空で、

常に虹光の道を教える紫雲なく、

花鳥もない。彼の心だとか身体、

鼓動と連動する唇だけ(鬼一)。

彼は、まるで人間の男のように、

時空に入り、戦慄く所作で語る。

この彼は文武の師だが、何一つ、

教えもしない。言葉を得るため、

言葉は何かを失う。息を吸って、

再び口を吸い、殆ど動かさずに、

ぴたりとそれを当てる。大きな、

掌で我の心臓を調べた。時間が、

止まる。我は(許して)と囁き、

彼をば見た。怖い貌をしながら、

鬼一は我の気配を眺め、そして、

押し当てた掌を、心より離した。

(だが許さぬ)と責める貌と唇、

鬼一は何が許せないのだろう?

彼の求めた答えは何かを、我は、

頭で考えようとした。けれども、

考えられない。道ならぬ道だよ、

刀を寄越せ、遮那。彼の手では、

それを奪わなかった。地上でも、

水上でも、我が大地こそ彼だし、

無償の愛なのだ。我が魂自体も、

彼の愛。だが、足場が段々悪く、

歩き難くなって来た。彼は常に、

我を助けて歩く背だが。誰だい、

エルヴィスの恋はジェス以外の、

誰にも渡さないのだから、彼だ、

(本来の弁慶?今何とかしてよ。

今の体なら双子ではないのだし、

弟のアルチュールでもないよ)

性はこうして自らを追い詰めた。

軽々と彼は我を抱えると自らの、

領域に運び、彼の前に跪かせた。

遮那、僕だけの真の愛、恋の歌、

僕の女、刀を寄越せ。(許して)、

(許さぬ)、早々肢体の一部が、

重なって来る。今は接吻の続き、

彼が口移しで飲ませていた夜の、

水の続き。彼と重なった処から、

ぬるりぬるり揺れ。我が長々と、

この褥を避ける程、彼にとって、

最高の慶びが、夜の交情になる。

我らの時代の愛は闇の中なのだ。

だが既に最高の関係だった時を、

どう動かせるものだろう?彼の、

目くるめく剣が、痙攣的に揺れて、

恋情の奥まで探そうとした。一瞬、

情の水で麻痺した戦意が我に戻り、

彼の弱点を射貫き返してやろうと、

背後の剣に心を向けた。ふと彼は、

それを、見抜いたかのように再び、

我の心臓の上に掌を当て、止めた。

(お主の弱点だってやはり僕だよ)

彼の手の感触は欲望や恋情以前の、

慈愛に満ちた、信用に足るもので、

彼らしい聖なる永遠を思い出すと、

我は安心した。それから彼の手は、

遮那の心を砕く程、肉感性を帯び、

胸から臍の方まで往復して撫でた。

情欲の不意打ち。彼は許さないのだ。

未だ、色良い返事もしておらぬ時も、

言葉以前の彼が、彼の理性を裏切る。

しかし我の理性も我を裏切っており、

太陽の危うさが海の情に溺れていた。




続く・・・


Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/08 (Thu) 18:42:13



あ、彼の名とは、憲海であったのだ。

彼の肌など幼い頃から知るが、手が、

そんな風に動くから、泣かせるのだ。

堅物の欲望からは、身をかわす事が、

出来ない。羽根が千切られるようだ。

三条の弁慶石の中でも、天使は常に、

彼に抱かれつつ涙していた。それは、

悲苦であり、随喜でもある。人々が、

破戒を希求する事なら日常茶飯だが、

しかし我らの禁忌は、もっと深くて、

重いものであった。人間らの目指す、

不貞とは違っており、我らには他に、

裏切る人間はいないのだ。二人共が、

不気味な禁域を、愛欲で飾っている。

これで絶対の絆は如何なるのだろう!

理が強靭である時は敗北が誇りだと、

彼の不自然な愛の過剰さは告げてた。

彼とは弁慶だが、彼の目付きが爛々、

我の肉体を嘗め回しているのは不幸!

しかし、恋なら独占せざるを得ない。

不幸自体と見分けが付かぬ程意外な、
      
愛が性であれ、我らは大群を他所へ、

祓うために、痛ましい性を得たのだ。

聖君の愛は獣に豹変し、天人は堕落、

そして辞世の句は卑猥なものばかり。

詩句は天国と地獄の地図を作るのさ、

それが視力、それが言葉の足場だよ!

段々二人は、血縁の痛ましさを忘れ、

特権的な重みを味わっていた。魔の、

性なら魔王の尊と遮那しか持たない。

難物のかぐやにエルヴィスの歌う夢、

好きにならずにいられず、留まる罪、

堪え切れない愚かしさ!それら全て、

彼が偏愛する実際のスリルであった。

この弁慶と半身しか知らないそれは、

元の、異界の美と血肉の確認だった。

既存の自然に反しながら自然であれ!

我らの性愛は、堅固なまま危いのだ。

弁慶である鬼一の目は真摯で暗くて、

他の人間に見せぬ彼らしく恐ろしく、

全てが妖しさを増していた。しかし、

日頃の聖人らしい彼も彼の自然な姿。

同じ男と思えぬ位、計り知れない彼、

それは単なる夜の性以上に非日常の、

化外の者しか得られぬ自然と思えた。

昼の貌への裏切りも彼の魅力らしい。

確かに、人間の男であれ豹変もする、

だがその場合、日常の謹厳は仮面だ。

鬼一の性なら、彼の信じられぬ程の、

純情から発した魔の性のようである。

聖心の炎が愛を汚さずに居られない。

我らが何らかの意味で天使的ならば、

弁慶の性は、キリスト磔刑のようだ。

そこには選ばれし者の罪の板が耀き、

我らが互い一人を選んだ罪となる。

聖性によって余計魔を生きるのだ!

何故こうなるのか?多分に彼は我が、

天国に逃げても地獄に逃げても常に、

離さぬため全ての色を生きるだろう。

聖女らの美談で義経が恋を逸らせば、

彼は横道を、決して見逃さないのだ。

恋の真を愚弄し、雑魚共に投げ捨て、

世の中の全ての人間から意味を奪う。

だから世の中で恋は我らだけにしか、

なくなってしまったのだ!彼だけだ。

その事を思って、戦慄しながら彼の、

長年の不満らしい情をば受けたのだ。

彼は再び腹から胸の辺りを撫で上げ、

甘く息を吐いていた。掌には剣技で、

出来た固い部分などあって、それが、

乳首を刺激するので、ぴくりとする。

彼は気付いて、幾度もそれを試すと、

我の体や表情などの変化を確かめた。

反応する都度彼は我の貌に見惚れる。

多分に、彼が無理に引き出した貌を、

我がしていた事が、魅力なのだろう。

多分彼にとって、宇宙で一人の子か、

無理やり作った彼だけの女の表情が、

希少価値なのだろう。彼の性は常に、

彼自身が、神となる事を求めていた。

自然界が恋として用意しそうな自然は、

全て彼に関係のない蔑むべき愛らしい。

無骨な鬼一であるが、多分彼が本気なら、

どんな女も稚児も思いのままだったろう。

だが彼は、彼に情欲を持つ者となれば全く、

愛せないのだ。剣豪は、硬派だけを愛する、

そして、難敵なんざ彼の半身だけなのだ!

未だに彼を欲望しきれない愛すべき者を、

多少無理にでも欲望させたいのだ、彼は。

無理に開かせた花だけを彼は愛でるのだ。

鬼一は「我らが、以前共に街へ出た時にな、

お主の衣を仕入れた」と告げて遮那の肩に、

未だ掛かっていた衣裳をば脱がすため、

我を抱き起こし、再び背側から抱いた。

愛ゆえの性など暴力なのだ。だが彼の、

言っている事は分かった。彼は漢など、

許さないので、金襴緞子の類であろう。

これは恥辱なのだ。我が「着るものか」

と言うと彼は、動じもしない硬い掌で、

愛撫し、菊の座へと指を滑り込ませて、

(弁慶とはお主の花弁なのだ)と呟き、

そして動かし「お主が可愛くて溜らぬ」

と、噛み合わぬ愛を囁き、絶頂へと導く。




続く・・・



未校正

: Re: E&J共作詩)『 - Foutchi

2018/03/09 (Fri) 01:05:34



(何度抱いても、彼の時は動かないのだ、

此処で。我の時も動かないのだ、此処で)

遮那は常にこの後で出奔し、鬼一が追う、

互いの衣々を被った橋上の決闘を済ます、

そして、彼は名も地位も家も能力も捧げ、

殿を演じる義経の外面を保つため尽くす、

だが常に、弁慶は幻の女を捉えきれない。

しかしその瞬間、後の後のエルヴィスが、

以前の歌で耳に押し寄せた。{賢者は言う、

愚者のみ、慌てて駆け込むのだと。けれど、

恋に落ちずにはいられない。留まるべきか、

罪かと思案をしても君を恋さずにいられぬ。

流れが大海へと確かに注ぐが如く、恋人よ、

そう物事も運ぶよう、定められているのさ。

我が手を取って、全人生も受け取ってくれ、

僕は、君への恋に落ちずにいられないから}

上品に歌い上げてはいるが、重い声色だ。

このrush inがrush around in circlesの、

輪へと変じてしまったかのようだ。我ら、

双子の半身同士の焔は、渡るべき岸辺も、

今後依るべき恋の、心身の見当も付かぬ、

このままでは。我は後の後の男の歌声に、

心の耳を傾けた。何と暗い声なのだろう!

他は、これを恋歌と感じて聴くだろうか?

殆ど彼は、笑い掛ける余裕もないようだ。

憂鬱な、乳父の心配でも歌っているのか、

恋情以前で、歌は足止めをくらっている。

彼が我を可愛いと言うのは何よりもまず、

自分自身が育んで来た宝物だからなのだ。

まずは、その情が強いのが彼なのだろう。

その上、彼の人生全てを捧げた子なのに、

当時も恋の明言すら得られてないのだ。

彼が、子を戦に出したくないと願って、

寺も持て余した遮那王を抱いて女にし、

堅固な邸宅で守って過そうとしていた。

既に、侍の末路が見えていたのだろう、

愛弟子を、危険な目に遭わせられない、

との心配から、恋情に雪崩込んだのだ。

元々この絆に全ての情が含まれていた。

養父計画が破綻した彼はどんな気分で、

この堂々巡りの愛の輪に居るのだろう。

幾度抱かれても、環状なら変らないし、

我は彼への永遠のために、危道を避け、

欲望に溺れる事で、危難を演じてみせ、

真の情の地獄は見まいとしているのだ。

彼の今の性欲は欲望自体と言うよりも、

何であれ彼を本気で拒絶する事などは、

絶対にないだろうと我に確めたいのだ。

(元服目的より性的拒絶の出奔なのか、

遮那が鬼一に失望したかと気に病んだ、

彼なのだろう。懊悩はEの歌声になる。

何も、肝心な事を恋人に聞けぬ言葉だ)

弁慶は未だ眠ってた。我はその寝顔に、

何であれ真剣に愛している、と告げた。

エルヴィスが「昔の失望が今の俺だよ、

今度はジェスが、俺に愛を確信させて」

と言って、多少、心配そうに我を見た。

ああ、我は未だ、恋を繋ぐ約束の詩も、

この恋歌のために作ってはいなかった。

詩の言葉自体は、愛自身と関係がなく、

文字など全て、口先の文字でしかない。

だが弁慶の矜持は彼のみ殿の詩を得た事、

その一点にあった。我が恋歌を惜しむと、

出口もない恋が、流離う歌になるのだ。

彼エルヴィスは「以前はジェスが又、

血の絆を避けて、去った思った。俺の、

恋が、拒絶されたのだろうかと思った」

と、赤い貌をして言った。我らの場合、

絶滅危惧種の愛情ゆえ恋情と混ざるが、

それを光の下の意識にも置けなかった。

彼が眠りジェスが起き、夜の繰り返し。

御神渡りならば対岸に向かえば良いが、

我らが互いへと行き着くためにはまず、

自身が封じた核を何とかせねばならぬ。

言わねばならぬのだ!我は弁慶を思う。

彼が殿に惚れ込んでいるという印象は、

衣川の最後からも伺える。それに大体、

彼は自分を捨てているし、一方的な情、

憧憬と周囲に取られたろうが、実際は、

鬼一こそ、我に憧れられる男であった。

しかし義経から弁慶に対する扱いには、

個人的な好意に纏わる逸話が殆どない。

立ち往生の話も弁慶の一方的な愛だし、

佐藤兄弟の如く殿に大泣きされた事も、

その死に名馬を贈られた事も彼はない。

心中も断られた彼は大群の前で我をば、

何と思ったろう!武者として名を挙げる、

その事の方を、義経は考えていたのだ。

しかし弁慶は、本来の身分も低くして、

周囲に何と思われようと、惜しみなく、

自分にとって殿だけ特別だという情を、

多分に、幾度も態度で表現したのだ。

弁慶の献身にある匂いを感じる者も、

義経の恋の話と言えば公では他の事、

そして、貞女らの愛に美談があれば、

遮那は、如何に彼を苦しめたろう!

エルヴィスが恋の美談を破壊して、

最悪の模造を作った理由が分かった。

彼は軍の押し付けの妻も女優の類も、

中身のない虚像の愛と思いたかったのだ。

自身を用いて彼は、半身の美談を否定する、

それは弁慶と殿には、恋の美談がないため。

我は今、殿の立場も持っていないのだから、

弁慶の立場を思う。告白は引き受けたくない、

殿は遮那で彼が部下という気分が未だある。

しかし鬼一の方は、人が羨むような立場も、

何もかも、惜しみなく遮那へと捧げたのだ。

彼は師範であったのに、下僕へと身を変え、

殆ど報われないと思われる状況を耐えてた。

彼はまだ眠っている。「今まで御免よ弁慶、

そして人生を放っておいて御免、エルヴィス。

愛しているのだ。けれども君が壊した美談が、

許せないよ。地の下らない人間関係の類に、

このジェスは、混ざりたくないだけなんだ。

他の男女と同列に扱われたくない、殿だもの」

と、不滅の矜持をば、彼へと見せた。彼は、

「その危険な誇りを愛しているんだ。でも、

俺も本当に不安で、先走った絶望の念に、

浸って過した。君まで不安にさせても、

救いがない。ジェスだけが特別だし、

人と比べて選んだ事などないんだよ。

俺にとって他人など存在していない。

何かを思い出そうとする芝居のため、

思い出した何かを又否定するために、

お話を作った、お話こそ人生だったさ。

皆がエルヴィスの人生と思う処は何も、

実際の内面には存在してはいないもの」

と言う。我が「世界一有名な君は嫌だ」

そう呟くと「弁慶も、そう思ってたよ。

世になし者の遮那のままなら良かった」

と返す。「君の生は復讐じゃないかい」

「君が不満であっても、そうじゃないよ。

愛し過ぎる君が、手に入らぬ人生だし、

女らの恋の美談を破壊する原因になった、

としても俺はジェスだけを欲望してる。

誠実な意味でもそうだし、もっとその、

高尚な意味でも、性的にもそうなんだ。

俺達だけが、魔性を共有出来るのだし、

その遮那王の時代からそうなんだろう?

大体、俺達主従の愛が成就したら再び、

義経の他との美談は、壊されるものだろ」

我は頭を抱えた。彼は傍に来て我を見た。






続く・・・



未校正

E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/09 (Fri) 17:53:33



「俺にはジェスが何を言ってるか良く分かる。

言いたい事も分かってる。俺達の愛の誓紙も、

辞世の句も、言葉だよ。言葉は神だ。でも、

文字で書ける神じゃない。そういう事だね。

ジェスの戦いってのも、そんな事なんだよ。

意味が伴ってなくても自由に何でも言える、

小説の中の人々が作者同様虚勢をはるのは、

最悪の字だからさ。人や組織の自称は無意味、

文字は戦わない、字での仮装は自由なんだよ。

だから君が言うところの議論だとかの方が、

意味を持ちやすいだろうけど。磔刑像だよ、

愛の像は。言葉って何だと思う?ジェス」

我は「ある意味の方角を規定する記号さ。

でも英単語は一語で色々意味を持つね、

英語だと語自体の意味を固定化し難く、

二重、三重の意味まで持たせられる。

だから、実用的な伝言にしたい場合、

字よりも文で伝える必要があるんだ。

日本の字は割と意味が限定的だから、

文よりも、文字自体を妄信しやすい。

字と意味を小説家は区分出来ないから、

俺達の文字に、割り込もうとして来る、

字で冤罪をかけられると思っている。

今は、偽旗と偶像化が文学全部だね!

でもエルヴィスは声色で意味を定め、

訴えている。誰もその色を読めない。

そこに、実の言葉の意味があるんだ。

つまりエルヴィスの恋は特定可能さ」

我が答えた。彼は「では、俺の恋歌、

俺達を繋ぐ日本庭園の歌はどう聴く?

『好きにならずにいられない』は?」

と問うた。我は「エルヴィスはねえ、

好きにならずにいられないのではなく、

一夜を強要せずには居られなかった、

それは罪かも知れないが、遮那へと、

捧げた生をば受け取れ、と歌ってる。

確かに鬼一は、愛に関する不安感を、

打ち消すため、遮那に命まで捧げた。

それでも、まだ気が晴れないのだね!

聴いていると、憂鬱になる歌声だよ、

当事者には逆に、恋歌とは思えない。

性的な罪かも知れぬ、嫌われたのか、

嫌われていないだろうか。そういう、

心配だけの歌なんだ。愛ゆえの心配。

それは一種の受難なんだ、だってね、

君は、性欲だけのために性的な事を、

したのではなく、遮那を救いたいと、

そういう願いも持っていたのだから。

鬼一は名も命も弁慶として捨てたが、

未だに恋愛以上の双人の愛の信頼が、

揺らいだのではないか不安がってる。

親子兄弟の絶対の愛の信頼が揺らぎ、

次に性愛に関する自信が揺らいでる、

そのまま我らの恋は止まったのだよ。

そして背後には日本庭園だろう!あ、

ハワイには当時の南十字星も見える。

君は平安時代の鬼一の懊悩の歌だね」

と言う。彼は不快そうに眉を顰めて、

「俺の悩みが良く分かったね。ああ、

ジェスには隠し事が出来ないからね、

だから、嫌なんだ。でもそこにだけ、

救いがあるんだね。僕は意識せぬまま、

遮那王への怨恨を溜めていたし、そう、

鬼一は逃げる遮那王に切ない気持ちを、

擁いていた。元々は性的なだけの愛じゃ、

なかったよ。俺らの愛は、あの頃の夜の、

性によって傷付いていたんだ。そして、

今ではそのために、俺の頭の中は只管、

そればかりなんだ。鬼一つまり弁慶の、

石の中の天使が抱かれて泣いている、

そう、それだけなのさ。俺の頭の中は、

ジェスから性的に認められる事だけ、

それが恋の意味になってしまった」

そう呟きながら、抱き締めた。

「鬼一には性的魅力もあるのは当然、

なら君にもその要素はあるだろう。

だから君は性的象徴になれたのだよ」

我は返した。彼は「はぐらかすなよ。

世間の評判なんて今は聞いていない。

ジェスだけが俺の恋人であり伴侶だ、

それは薄々周囲の米国人も気付いて、

いる事じゃないのかな。ジェスから、

どう性的に感じられているか、これを、

知りたくて知りたくて、気が狂いそうだ。

君は口でも文字でも血判でも約束してくれ、

いつも気にかけてはくれている。でもね、

俺は君との関係を前の前の生で拗らせて、

性的な自信を失っているんだ。それとね、

鬼一というか弁慶は経験が少なかったろ、

だから、下手だったんじゃないかって、

不安もあるんだ。それに体の全てが彼は、

遮那王に対して大きすぎるからね、何か、

優しくしても、泣かせるような事態には、

なったろうけれど」と言いながら段々と、

もたれかかってくる。「性的象徴の化身、

そして実際には一つも恋愛を知らない男、

それがエルヴィスでもある」我は言った。

彼は「エルヴィスなんてもう居ないんだ、

人格は大衆向けの舞台さ。人生や名自体が、

俺の場合は、御芝居だ。何度も言うけれど、

ジェスが俺の魅力を認めてなければ、何の、

意味もないんだよ。俺の場合はね、虚業だし、

舞台と生活が一緒、現実の愛は逆転している」

彼は接吻した。我は「確かに遮那は君よりも、

貧弱な身体だから、女のような気分で鬼一を、

性的に求めていたんだと思うよ。鬼一は漢の、

男性的な美を集めたような男だからね。でも、

この遮那は気質的にはやはり、男なんだよ。

いくら我らが天狗の類で性別を持たない、

などと言ってもね、君の愛は人々の目指す、

同性愛ですらない。君は漢の中の漢であり、

その男が、幻想的な女を遮那に求めてるんだ。

遮那に"男の男を受け入れる女であれ"、と、

そう願う、幻の恋なんだよ。だから鬼一は、

常に、夜は泣かせる事になるんだ。しかも、

それで、鬼一が苦しむ事になるんだろう」

彼は「でもジェスはもう鬼一のためにだけ、

つまり真のエルヴィスのためにだけ生きる、

と決まっているんだよ。俺はね、実際には、

ジェスの男性的な部分にも惚れているんだ。

でも、男を求めるなんて事をすれば多分、

女達と同程度になってしまうだろ。それも、

嫌なんだ。鬼一は君だけを愛して育てたし、

他の女も男も愛せないんだ。それはねえ、

言っていいのかな、本当の事を言えば、

俺である彼が嫌がるかも知れないけど」

と、目線を逸らせた。「何なんだい?」

彼は気まずそうに笑うと「鬼一法眼は、

確かに硬派だし、恋愛に興味がない男、

だったんだよ。でも彼は彼自身を何も、

知らなかったのさ。彼は、つまり真の、

本来のこの俺は、地上世界に本来一切、

属していない男なんだよ。それを人が、

何を感じるかは知らないけれど、君も、

俺も、言葉に出来ないレヴェルの魔性を、

持っているのだ。これは言葉に出来ない、

誰も公然とは言えない程の、魔性だよ。

俺の歌によく出て来る"スリル"とはね、

唯の偶然でそういう詞を歌ってないよ、

多分、俺の願望の通りだね、それは。

俺達は"愛のスリル"以外ではないんだ。

我らは危険なんだよ」と話した。我が、

「魔性とはヌーメン的という意味かな。

何か暗い情熱はエルヴィスに感じるよ。

でも、鬼一も我もスリルならば、その、

鬼一らしさって何なんだい?」と聞くと、

彼は「前の不安感のせいでさ、本来の俺は、

その、つまり、人間には分からない男だし、

人類からは分からない衝動ばかりなのさ」

と言う。「何の衝動が鬼一らしいの?」

尋ねると彼は「鬼一とは性衝動なんだよ」

と言って、息を吐いた。性衝動とは通常、

どの人間でも持っている事だろうと我は、

思うのだが、彼はそれこそ魔王尊の特徴、

と漏れ聞かすのである。では民の性欲が、

彼、弁慶の性欲と、一体どう違うのだろう。




続く・・・



未校正


Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/09 (Fri) 23:36:33




「性欲と性衝動は……」「魔性とはね、

人間の食欲や、性欲や自己保存欲とも、

違うんだ。人間にとっての性欲ならば、

地上にしっかり基盤を作るためにある。

性欲は元々、子作りのための本能だよ。

だから性行為自体より、産む産まない、

て問題ばかりだろう、女達の脳はね!

そして、人々は自分が持たない要素を、

異性や同性に求めているんだよ。何かの、

足りない要素を、補うための性欲なのさ。

だから同性愛でも、異性愛が元になってる。

足りないものを求める欲望、これが性欲さ。

俺にも足りない処はあるけど、でも本質が、

環になってる。欠乏がなく、過不足もない。

人間には、自己矛盾の永遠ってものがない。

魔性とは、実際に性行為で脱出する能力さ、

世間を異次元に見立てるための性ではない。

人間は、地上で群れていないと嫌なのだろう。

性欲は群れにあるんだよ。地上に基盤を作る、

地上で異性を増やす、食欲や物欲と同じなのさ。

不貞にせよ貞節にせよ同じ事でね、肩書的にも、

人間は"大勢の仲間"に入って生活するものさ。

その中で文字を得ようとしてる。この俺には、

その類の不安はないんだ。別の不安だけだよ」

「不安?今でも君を愛してる。避けもしたけど」

「そうは言うが、日頃の君は冷徹であり過ぎる!

冷厳であり過ぎるよ!君は恋する人には見えない、

それに、今更本当は、弁慶こそ好みだと言っても、

当時どれだけ俺が君一筋だった?しかも最後には、

立ち往生、つまり心中拒絶だろう!だから弁慶は、

戻橋の一夜の拒絶疑惑ばかりではなくてね、その、

衣川での事も不安なんだよ」彼が言い終えると、

寝ている弁慶の頬が、ぴくりと動いた。けれど、

未だ彼は起きなかった。「なあ、心中拒絶は、

勿論我らの名を上げるためでもあるし、その、

他にも、可哀そうな同胞がいたためだろ」と、

説得する。彼は「それだから、その殿の持つ、

優しさが嫌なんだ」と辛そうな貌をして言う。

「我は、君にだけ優しくしている」少し驚いて、

彼を見た。彼は「それも嫌なんだ。優しいとか、

親切とか、同情による恋愛ごっこなんて嫌さ。

弁慶は、あまりに、不幸な最後を遂げたろう、

それは彼の自信にもなったが、不安の元だよ。

過去への同情心から好意を得たくない。だから、

その、弁慶、鬼一は殿の性的な愛が気になるのさ」

「性的な意味でも愛している。逃げたくなるだけだ」

我は応じながら、不思議な欲望すら感じていた。

彼によれば、我らのは欲というより衝動らしいが、

「ねえ遮那。鬼一の頭の中は、戻橋で出奔された時の、

遮那は性的に良く思わなかっただろうか、いや違うか、

その事を知りたいばかりだ。もし鬼一自身に性的魅力が、

なくて逃げた遮那なら、どうしよう、心中も避けられ、

それで"弁慶を恋しい"なんて殿の芝居かも知れない、

と、不安なんだ。殿は佐藤兄弟の事でも大泣きした。

大勢の高貴な人間が、自己犠牲的に生きた時代だね。

それは、義経が何らかの価値自体だったからだろう。

もう、殿への愛は皆が不幸自慢だし、同情だけでは、

到底俺に、勝ち目がない。だからこのエルヴィスが、

愛に同情もされぬ強者になって、愛を求めているんだ。

弁慶のような生のみなら、同情されてしまう!本当に、

彼弁慶に魅了された君が居るととしても、弁慶は常に、

"殿は慈愛ゆえ惚れたふりをしているのか?"と疑うさ。

でも、それは彼から君に言えない、愛は口下手なんだ。

弁慶がエルヴィスの人格を嫌っていても、俺もその、

殿の真の恋情の有無を確かめるため、生じた人格だ。

勿論、弁慶自身は遮那から鬼一へ恋情もあると信じた、

それが、あの、三条の弁慶石の天使に現れてるのさ。

君は、かわいかった。涙を流しつつ腕の中で身悶えて」

彼はやがて、様々な手管で我を弱者にしてしまうのだ。

「この遮那は、所詮その程度だ。弁慶みたいになれない、

君は筋肉隆々で、男らしい。女全てが性欲を感じる男だ、

だが、この遮那を御覧よ、やはり到底女ではないのさ。

君が魅力的だろうと、それで素直に欲情出来ないんだ。

君の魅力を感じる事はある、でもそれは、男として、

君の魅力に敵わないし、偉丈夫にになれぬ、失望だよ。

弁慶は、遮那なんざ女扱い出来る程、強い男なんだもの」

と我が言い捨てると、彼は「我らはそういう不完全な男女の、

言葉には属していない。俺は、弁慶は、ジェスから見れば、

絶対的な信頼の源であり、育む母性でもあるのだろうよ!

物事は単純じゃない。遮那は、この母が熱愛する御曹司でも、

あるのだよ。でも人の世の不完全な字は、我らに属さない。

人間は、この文を読めないのだ。意味より字を見るからねえ」

と落ち着いて話した。我は何か切なくなった。エルヴィス、

彼の表情は、普通の人なら有り得ない程に、振幅がある。

それだけでも、彼を一つの名で呼ぶ事は、難しいと思えた。

通常の"多面性"などという言葉が、まやかしと聞こえる程に、

色々な種類の性質を、一人で持っている彼だ。つまり彼は、

人間の如き人格的極性も、性的な極性も持たないのだから、

足りない異性を探す事も、実際の対岸を目指す事もない。

エルヴィスに足りないものがあるならば、その虹の色彩の、

輪宝の中心だ。矛盾しながら全て有する天国地獄の要素を、

己が空虚な中心で束ねる一点なのだ。我らが対岸対岸と、

目指したとしても、再び元の岸辺へと戻されるだろう。

巷の人々は弁慶とは、殿を愛するアニマの情念だとか、

彼の生来有する空虚を、彼自身では満たせないだとか、

殿義経を、どうしょうもなく欲する男だ、とも言う。

弁慶と義経の関係は、母子の熱愛風との評判もある。

不思議と男性性よりも、子を育む親代わりとなって、

己の聖域自身で、自己の霊性を傷付けても来た彼だ。

しかし、白光が虹色になるのだから、言葉には何も、

違いはないのだろう。ただ彼が南十字星を心の光とし、

プレシャス・ロードを『好きにならずにいられない』

にも重ねつつ、ハワイを古の日本と思っていたように、

彼が欲したのは、故郷となる中心の愛と恋だったろう。

我は「そうだ、字は不完全だから、エルヴィスは常に、

その多重的な声色を使ったんだ。君だけなんだよねえ、

同時に、違う言が響くような声は。君の矛盾とは何か、

矛盾ではなくて、高次の自己矛盾だね。人間ならば、

それは唯、嘘が露見した瞬間の矛盾でしかないけど、

エルヴィスの表情には無邪気さや鋭さにも嘘がない。

裏を表と言ったという嘘はなくて、メビウス状だろ、

もしくはクラインの壺かな。人間は神を見ると何か、

精神の奥が破壊されるだろう、クラインの壺でも、

低次元の面で、再現しようとするからだろうけど」

と話した。エルヴィスは聞きながら暗い目をした。






続く・・・



未校正

: Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/11 (Sun) 20:51:02




彼は「その"Can't Help Falling In Love"の、

罪だろうか、という処はね、 ButじゃなくてIfだ。

俺がジェスに"Can't Help Falling In Love"なら、

罪か、だよ」と注意した。我は「ああ違ってたね」

と言う。彼は「もう転生したから、もう弟とかでは、

ないからな、遮那、アルチュール、ジェスは」と、

何度も繰り返した事を言い、髪を撫でる。我は笑い、

「神の愛によって!」血の呪から救われたのだね、

と添える。すると「ああLoveか!我らを追う輩は、

語の意も特定できない。他所の字に寄生しに来て、

文字自体の意味を変える奴らさ。な、俺達の愛は、

どこで意味付けられてると思う?」と彼は尋ねた。

我は「"~せずにいられない"という部分と、その、

"俺の全ての人生を受け取れ"、って部分で。今、

あの歌は、自ら衝動に負ける程の強い恋情を歌い、

命懸けの愛の誠意まで表している。両方なのだね。

情熱過多でも誠実で一途だね。何の罪だと言うの?

しかも、別の情やら誠は欲しくないという恋なら」

彼に歌に込めた意味を尋ねた。我と一緒の彼は、

日頃、芝居や舞台で見せる表情はしなかった。

だがこの一瞬、彼は虚業で屡々見せた表情をし、

ニヒルに笑った。我は日頃、人々の知らぬ彼を、

虚業のエルヴィスとは別者として接して来たが、

ブロマイドのような貌をしたのだ。もう彼は既に、

星気体より物質に近い姿を取っていた。髪の色も、

光が当たると、一本一本の毛筋の内は金色に輝く。

本来髪色は、赤味のない茶であった。活躍中は、

幾分か黒い色でも似合って見えたが、今の彼は、

我には凄まじい激しさを見せないためか、既に、

茶色の髪でも良く似合っていた。しかし一瞬、

我の心は、別の舞台へ引きずり出されたように、

緊張した。エルヴィスは「俺は、色きちがいだ」

と突然、呟いた。我は答えず、続きを待った。

「ああ、互いに説明したけどさ、考えた挙句、

自分が養子にして肉体的にも、ものにせねば、

と考えた愛なんだよ。他の誰かには絶対に、

やりたくなかったんだ。そういう意味では、

恋愛感情も欲望もあったと言える。でもね、

そんな卑小な関係じゃなかったんだ。君が、

本当に俺の、というか鬼一の全てだった。

もう語ったろう。抱かれた後のお前がな、

侍になると決めて、俺は自信喪失だよ!

そして今も、遮那の心は良く分からぬ。

つれない!つれない義経だなあ。何せ、

今も師弟のような会話しかないだろう。

勿論前は、楽しかったのだ、それがな!

だがあの夜の傷の後では、知的な話も、

俺は楽しめないのだ!お主が鬼一をば、

単なる師として扱おうとしているのだ、

ああ、恋してはいないな、と思うと、

胸が張り裂ける。つまり、お主は実は、

この鬼一に抱かれたくなかったのか?

それは、性的魅力不足という意味で、

恋愛対象外だったのか?その事のみ、

考えている。そう、エルヴィスが今も、

繰り返す通りだ!今の文化など全てが、

人類を愚かしい俗物へと変えてしまう、

と遮那は憤っているが、高尚な話だけ、

この鬼一と共有したがる傾向は、辛い。

取戻したかったのは、幼い頃の遮那の、

真の憧憬でもある。俺を自惚れさせる、

愛らしい情熱が、遮那にはあったのだ。

エルヴィスを見ても、お主の方は何にも、

憧れの傑物を見るような目をしないのか?

お主も、同じように、愛していると実際、

確められたら良いのだが!お主には何か、

あの、ひらりひらり、するりするり抜け、

地下蔵の奥で縛っても逃れゆく類の怖さを、

感じてもいる。お前は本来とても無邪気で、

この俺を、信頼しきっているようだったよ。

俺は、性質も見た目も可愛いお主から常に、

尊敬され崇拝され切り、甘えられてもいた。

それが、あの夜の後から変わってしまった!

常磐御前の問題もあるし、それは直ぐ察して、

元の信頼を戻そうと、俺は何もかも捨てた。

最悪の状況で、惜しみなく命すら捧げたぞ、

しかし、まだ、冷淡なのだな?この鬼一に、

心を許していないのだ!お主は戻橋の夜で、

根本的な愛の信頼を、失ってしまったのだ。

心中するしない抜きでも恋など見下してる、

きっとそうだろう。しかし乳父だの師範だの、

その禁忌よりも、問題は、あの事が罪だったか、

という事だ。ああ、俺の恋は罪か、と問う歌だ」

……そう一息に喋り終えた彼は、エルヴィスの貌、

そのままだった。彼であり、他人事のように語る。

殆ど鬼一のような彼を見て、我は面食らいながら、

「もう血縁の罪は消えたよ。互いに情熱もあるし、

誠実な愛と歌うなら何なのか、遮那は分からない。

何が罪か、今は分からない。何故聴くのさ?もし、

歌う時に、エルヴィスの私情を入れたつもりなら、

エルヴィスのみ知る真実だろう」と喘いだ。彼、

つまり鬼一という内面を逆にブロマイドの如き、

仮面に変えつつ彼は、いよいよ毒々しく微笑み、

「もう、血縁の罪などは、何も云々してない!」

と大声をだし、今度は子供っぽくむくれたまま、

背を向けて座ってしまった。{Shall I stay?

Would it be a sin? If I can't help falling

in love with you?}時の彼方で、台詞は響く。







続く・・・



未校正




Re: Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/12 (Mon) 01:52:34



訳が分からなくなった。今まで我が巷で見付けた、

"弁慶は殿を欲す母性"とか"弁慶の天皇とは義経"

などの評判が、己が脳内を巡っていた。それは、

逆でもあったのだろうか!でも罪とは何だろう?

当然恋に不器用な彼は、いくら紳士ではあっても、

恋歌など贈ってから、手順を踏む貴族のような芸は、

(エルヴィス稼業ならその類の修行に近いだろうが)

当時は不得手だった。しかも、遮那の師の立場ゆえ、

明瞭な合意もないまま、弟子を愛の道へ誘惑した、

という負い目もあったろうが、罪とは何かが違う。

幼い遮那は、彼と同質の血に共鳴してもいたので、

余計に身内感覚があり、抱かれた後気まずかった。

彼も当然そうだったろう。それとも違う罪なのか?

「分からない、教えてよ」と我は、心持ち通常より、

女っぽく聞いた。彼の方も我が儘そうな声を出し、

苛々しながら「好みでない奴に、口説かれたら、

迷惑だろう?惚れたと打明けられても困るだろ」

と吐き捨てた。「それが"惚れずにおられない"

と言う歌で悩むところの罪云々?」「そうだろ」

「何がだろ!」「恋の誘い方などは分からぬ、

俺は血迷ったように、遮那に抱き付いた訳だ。

お主は既に大きいし、鬼一を避けなかったし、

それに今までの、遮那の俺への態度からして、

もう抱いても、良いと思った。つまり俺は、

お主を、愛して良いと思った。けれども、

本音では迷惑だったのだろ、遮那にとって!

それならば、愛した事すら罪だったのだろ」

彼は、まだエルヴィスの姿をしていたのだが、

舞台の彼ではなくなっていた。それに、大体、

ぶっきらぼうではあるが、その声色からして、

彼の口調は既に、絶望的には聞こえなかった。

鬼一は子供らの英雄でもあったが、我だけが、

まだ七つの頃から、心底、彼を好きだった。

彼は何でも出来たし、神秘的な霊力も有す、

いわば超人である上、風采も良かったのだ。

年長の兄へと甘えるような気分もあったが、

彼を崇拝し、恋したのは、まず遮那だった。

男子から英雄への憧れの情だけでなかった。

けれども、鬼一がその事に気付いて大人の、

恋の絆へ変えようとした時、元の絆の方も、

我は失いたくなかった。だが鬼一はむしろ、

交合によって、黄金時代に留まろうとした。

愛し子の愛を、彼は失いたくなかったのだ。

彼の心の中心も殿だったろうが、我の中心、

遮那の大黒となる心柱も実際には彼だった。

仏蘭西でアルチュールとなり、ばら撒いた、

我の詩に、実は一つの宛先があったように、

エルヴィスの歌にも一つ宛先があったのだ。

それは最後に数万の前で弁慶が披露した歌、

逆さの延年舞であり、東北でも敵対勢力を、

何時かは必ず彼のとうとうたらりで流すぞ、

との宣言。主従復活のための戦でもある。

宛先一つのみなら、多く戦わねば届かぬ、

だから、我らは卑しい文字軍を皆排除し、

衣川舘以来、彷徨った"言葉"を明かした。

大衆へとばらまかれてあれど、唯一の、

特定可能な言葉があったのだ。それは、

実際、元に戻りたいといって鳴動した、

あの三条の弁慶石の音だ。そして彼は、

地震の原因ともなる弁慶鯰のように、

ぬめりぬめりの交接を引き戻すのだ。

彼は長く約束の時を待っていた。あの、

お水送りの若狭から比叡山の弁慶水へ、

それから東大寺の毘盧遮那仏へと例の、

遮那に飲ませる彼の夜の水が流れた時、

もう我らの性は蘇らざるを得なかった。

彼は大勢を前に永遠を叫んでいたが、

本人自身、聞きたい事もあったのだ。

髪の一部を金色に輝かせながら彼が、

我をば振り返る。それから前を見る。

その瞬間に、我は掌で後ろから彼に、

風を送った。「耳へキスしていい?」

と我は囁いた。彼は向うを見たまま、

ゆっくりと頷いた。我は彼の首筋から、

耳の方に唇を添わせ、「君の心身を、

躱したい、と願った事はない。もし、

君の愛を逸らす事があったとしても、

何も本心じゃない。真の言の誓紙が、

あるもの、神証も君の印も得ている。

今、この遮那が語っているのは恋の、

本質だ。君と常に同じ世界に居たい。

それは、こういう事なんだよ」と、

耳の下へと口付けた。首が紅くなる。

それから「俺はどうみても君からは、

同情されないんだろう。弁慶の生は、

俺より大変だったと、君は思ってる。

違うんだよ。君は、分かっていない!

そうさ、弁慶いも分かっていないさ。

だってエルヴィスの傍には、あの頃、

身体を持ったジェスが居なかったし、

生まれていたなら、双子だからね!

恋人や伴侶にはなれない。悲しい、

何よりも、辛い事だ。弁慶なら、

遮那、つまりジェスを抱けたろ、

一方俺自身の地上生活には君が、

居もしなかっただろう。俺はさ、

仏蘭西でも君と兄弟だったから、

気まずくて疎遠になってしまった、

米国では、双子になっていた上、

俺だけ地上に捨てられた。君から、

又、身を躱されたんだ。最初からだ、

最初から、悲しい、不安ばかりの生!

遺伝的にも弱い生まれで大変だった。

ただ魂の言葉だけを頼みにしながら、

そんな生でも、俺だけで生きたんだ」

と、少し鼻声で語った。我は何故に、

死産だったのだろう。多分源平の、

合戦では、子らが多く命を落とし、

我が子も殺された悲しみの表現だ。

運命は業以上に悲しみの言葉を、

体現したがる事がある。大勢の、

敵の子、そして自分の側の子ら。

その上遮那自身が、彼にとって、

子のような存在でもあったから、

愛し子を取られる悲しみを彼も、

当時は知るべきだったのだろう。

しかしそれら以前の問題から、

我らは過去の裏面にある真の、

全ての罪の源に気付いたのだ。

双方が望んだ確証があるなら、

愛しい心身を傷付けぬ事だ。

永遠に居てくれと思いつつ、

抱き締めたい、と欲す腕を、

もう悲しませてはならぬのだ。

我は自分の精神にかまけて、彼の、

心身を守る事をば一番にしなかった。

義経時代には難しい状況もあったが、

でも当時から、鬼一を真っ先に案じ、

連日気を掛け、労わるべきだった。

エルヴィスの事も、生の最初から、

孤独に喘ぎ続けた時を、然程、

気にしてやれなかった。彼自身、

今まであまり言わなかったから、

そのせいもあるが。「それだけ、

色々感じていたなら、正直に、

言ってくれていたら、もっと、

我も、心に添って考えたのに。

ジェスとしての我も、むしろ、

君から置いていかれたように、

思っていたのだよ。君だけが、

生まれた幸運な男だと思った」

我は告げた。彼は「ああ勿論、

ジェスも引き裂かれた頃には、

苦しんだだろうね。でもそう、

俺もだ。俺の問題は生きる事、

それはそれで、最大の重荷だ。

早く、会いたかったからね。

再びすれ違って、諦めかけた、

その頃、日本の奥州で俺自身、

知らなかった俺の封印が解けた。

当時は弁慶は未だ眠っていたし、

先に、俺だけ来られたんだよ」

と説明しながら、両腕を丸く、

輪のようにした中に我を包んだ。

我が「サン・レコーズのロゴは、

半円の事もあるけれども、そう、

弁慶の輪宝紋のようだね。鶏も、

今では弁慶の別当家の象徴だね。

仮庵山には龍と虹の日輪の伝説が、

あるねえ。サンのロゴのようだ。

そして君の腕!」と微笑む。彼は、

「ああ、また理性だ!でも俺も、

君のせいに出来ない。愛の唇を、

この頑丈に出来た腕の輪からは、

通り抜けさせてはいけないんだ。

俺も、ジェスを不安にさせては、

いけないんだ。誰にも渡さない。

これからも決して」と接吻する。

「何故君の本性が眠っていて、

エルヴィスが先に来たのだろう。

東北の問題なら弁慶が先のはず」

そう言うと、エルヴィスは「ああ、

それはまず俺が、現代人だからさ!

あと、弁慶は俺以上に照れ屋だし、

恋の話ならね、俺を通さないと、

何も言えないんだよ。だから、

彼が遮那王を抱いた夜にもね、

本音の愛を打明けたようなもの、

彼には本当に凄い勇気が要った。

でね、その自信が砕かれてさ、

鬼一が遮那との恋の絆に今も、

戻りたいって本心も、まずは、

俺を通さないと言えなかった」

と溜息を吐き、寝顔の方も見た。

「君らなど、実際は一人だろう」

と、我。「そうだよ、弁慶だ。

俺が生まれた時の大衝撃とは、

実は、遮那であるジェスを、

失った事によって、もはや、

己自身の弁慶を生きられない、

という事でもあったろうね。

遮那がいなければ、もう、

弁慶らしさなんて必要ない、

そういうものだったのさ。

殿不在なら弁慶は居なくて、

もっと言えば遮那王のため、

真の恋のために生きてる。

でも、俺のほうには全く、

彼も知らない孤独がある。

俺だって彼の失望の夜と、

自分喪失の傷の一部だ。

君を愛したいし、もっと、

隠して来た自分らしさも、

愛されたい、いいかな」

と、彼。頷くと直ぐに、

「まず、俺の名を入れて、

詩を書いておいて欲しい。

先刻、赤くなったりして、

汗をかいたから、待ってて」

と接吻し、風呂を浴びにゆく。

我は前々から彼が欲しがっていた、

エルヴィスとジェスの恋の詩やら、

あの『好きにならずにいられない』

に合う詩文をば、書き出した。彼が、

それは恋歌の呪文に使う気らしい。








続く・・・



未校正

Re: Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/03/12 (Mon) 18:00:42



詩を数行書いた時、彼の声がした。

「あいつは耳まで赤くなってたね」

振り返ると彼だ。我が「風呂へと、

湯を浴びに行ったんじゃないの?」

驚いて言うと、彼は「それは体だけ。

初心なのさ、実際汗だくになってた」

殆ど苦々しいと言った顔で呟くのだ。

彼の心にとっては初心な方が体なのか。

「遮那は、そういう鬼一も好きだもの」

本当にそうなのだ。しかし彼は「いや、

実際にそうだとしても、愛はそれで、

橋上での対決のように、逃れてゆく」

と呻く。それから彼は息を吸い……、

長々と続けた。「俺はな、幼い遮那、

お主自身が、独占欲が強い子供だと、

気付いていたぞ!そこも可愛くてな、

お主の願う通りに、なってしまった。

遮那一筋に、なったのだ。一方遮那、

お主には未だ、以前のような本当の、

可愛気すら戻って来ない。この俺は、

勿論、お主の、強かな処が、つまり、

生来、小憎らしい処が好きなのだが!

あいつの歌詞に頻出するスリルは常に、

愛の、危険な魅力をば念頭に置いてる。

剣術を使う俺にとって美とは、そう、

高度な意味で、危険である事。俺が、

剣豪であるなら、俺自身が誰よりも、

真に、危険な男で有り得た訳だよ!

だから幼い遮那から見ても、俺は、

誰より、美しい男であっただろう?

そうだろう?幼い頃の遮那王は既に、

殿様、という感じもしたよ。それは、

自身が源氏棟梁の子と知らぬ頃から、

そうだった。外見が愛らしい子でも、

何とも言えぬ怖さが、あったのだよ。

元服させたくなかったのは本当だが、

この鬼一から見て、既にお主はなあ、

ある意味では、男、そのものだった。

そこに惚れた!お主の本当の良さは、

多分女には分からないだろう。そう、

女どもには文字の類しか扱えないさ。

奴らが愛すのも、字や記号の男だが、

刀の美を語れるのは我らだけだよ。

我らは生死を使いこなせるからさ。

危険などの字にも意味がないのは、

文字を扱う輩には、女の類しか、

居ないからなのだ。俺はしかし、

真に命のやりとりをした時代の、

剣の使い手さ。分かるだろう?

だから我らの声には意味がある。

現代人には戦争すら出来ぬのさ!

舌も、火種でしかないのだから、

黙っているしかないはずだろう。

今時の戦争など、無人偵察機で、

他国を一方的に攻撃する卑劣な、

女かそれ以下の連中の仕業だよ。

全く男らしさがない!だろう?

盗作やら制裁程度が、戦だとは、

実に、実に、下らない世界だな。

だから自称言語学者を偽装して、

自画自賛を続けて批判は読めぬ、

卑劣な作家に読み書きは出来ぬ。

自分で都合の良い批判を創作し、

また創作に創作を加えた応答は、

批判の意味すら分からぬ言葉さ!

戦と殺しの違いも見ぬ、弱虫だ。

しかし遮那王、俺は男としてな、

お主という雄から愛されたい!

美しいのだ恋の、恐ろしさが、

価値が、欲しい、認められたい。

世間からではなく、お主から、

男として、認められたいのだよ。

殿だけが持つスリルの感触が、

それだけが、俺を魅了するから。

だが、恋に翻弄されるのみなら、

俺は愛されぬ男だろう。先の、

接吻にしても、そうさ!既に、

俺の心身だけ動揺していても、

お主も動揺せねば、俺自身、

愛されている、と思えない。

委ねられていると思えない。

幼い遮那の寄せた信頼とは、

身を任せきる程の、熱愛だ。

俺の心の中に焼き付けた愛!

それが、あの天使の姿だよ。

現代では魔性の字にも何ら、

意味はないさ。魔性は常に、

天使らのみが持つ性である。

それは、日本のものでもなく、

島国を超えた天か異界のもの。

俺も又、魔性なのだ、遮那王。

お主だけを欲するのもやはり、

人類と違う種族同志の愛さ。

この弁慶が愛しているのは、

強烈な鬼一に負けた遮那の、

幻の弱さだけだよ。それは、

日頃の凄まじい強さだけが、

美しく飾り立てる弱さだよ。

女達の強さなどは知れてる、

強気のつもりの女を抱けば、

弱く変貌するか、と言えば、

それはないな。女には逆に、

真の意味での危うさがない、

脆さにも、剣の脆さがない。

遮那の強さは剣の弱さだし、

強み自体が弱みになるのさ。

この猛者は女に魅了されぬ。

奴らは全員、下らないのだ!

生きる欲望ばかりに懸命なら、

動物以下の猿でしかないさ。

また、誰に剣術を教えても、

我が剣に敵うはずもなし!

遮那ならば我に匹敵する剣、

つまり遮那王だけ、危険で、

剣として美しい―と思えるよ。

それ程に美麗なものを、俺は、

自分だけのための女にしたい、

大体、天然自然現象すらなあ、

この魔王尊の意志次第なのさ。

人々は人工物しか動かせない、

絵も文も人の作る文は人工だ。

作為と嘘ばかりさ、そうだろ。

人類には偽物しか創造出来ぬ。

だが、俺になら、遮那の愛を、

弁慶石だけが記録する夜の、

天然の絵にも変えられるさ」

こうした彼の言葉に耳を傾け、

暫し、詩の事など忘れていた。

見れば、保存したはずの数行も、

消えていた。「君が消したの?」

それは、思い出せもしなかった。

彼は「詩など作っちゃだめだよ、

遮那王。文章を作る連中の事を、

作家と言うだろ。卑しい商売さ。

下らない階級の読者の機嫌など、

とらねば生きられぬのだから。

生きるために嘘を売っている、

汚い連中だよ。遮那は違うが、

そうアルチュール・ランボー、

お主は違うのだが、それでも、

俺を愛しているからと思って、

手加減して、機嫌を取る類の、

そういう甘さは欲しくない。

遮那の甘さ可愛さとは只管、

理性が打倒された時の錯乱、

アルチュールの言う錯乱さ、

勿論これは文字を写しても、

意味のない、言葉なのだよ。

天然自然以上の自然であり、

告げずにおられないものだ。

作家が安い文で"何せずには、

おられない"、と字を真似ても、

小説は必要もない嘘の字だよ。

奴らは戦も出来ぬが犯罪者さ。

犯罪者が本当の事を言うのは、

地獄の牛頭馬頭に責められて、

困り果てた瞬間だけだろうが。

何にせよ奴らの地獄も字のみ、

だと思っているのだよ。だから、

ただで、言い放題の小説や文に、

真剣の鋭さや意味の重みはない。

鋭い、重み、賢い、優れている、

平和な時代にはそうした嘘だけ、

文字だけだよ。戦争など既に、

地上からは消えているから、

男の対話はないさ。兵器なら、

破壊しかない時代であろう?

そういう事ではない。俺が、

『愛さずに居られない』事も、

人類には、分からない言葉だ。

それは実際の宛名があると同時に、

人類皆に見せ付ける異界の愛さ」

……見せ付け?そう我らは火種、

世間に対する悪意なのだ。御子、

キリスト。恋にせよ愛にせよだ、

十字架とは特定の個人の言葉で、

座標であり、宛先、宛名である。

それは、人の世に属さぬ真実だ、

それで、官民が語らないのだし、

神は読み書きを超え語る……。

「社会に属さぬ真実を証して、

"自然現象"で見せつけようと、

世間全てに挑むならば、そう、

それが火種になるだろう。歌も、

君の名前にしか意味はないさ。

義経もエルヴィスも、国一の、

伝説だからね。それが本当は、

創作の伝説を裏切ってもいる。

人々は宣伝された虚像の方を、

実体だと思いたくて抵抗する。

きっとそれは、人々の願望に、

虚像の生の方が応えるからだ。

我らは、世界を裏切る者だよ。

でも、何時風呂から出るの?

それに我も、衝動にまかせて、

そう、欲望以上の衝動通りに、

君への恋を詠わねばならぬし」

彼は「風呂?今こうしている、

それが風呂さ。命掛けなんだよ、

聖骸布の秘密を蘇らせる湯浴み、

なんてのはね!俺の愛しい衣々、

記憶が残り香だけなんて嫌だ!

いつでも、君と共に居るのさ」

と言った。「風呂って何だい」

「湯浴みの事さ。今現像してる、

イリュミナスィオンの詩の絵を。

あれは、飾り画とか絵とか写真、

そうだったね。奇蹟のイマージュ、

つまり手を使わずに描いたもの、

石に浮き出した記憶だろ」と、彼。

そういや仏語で湯浴みとは現像だが、

「アルチュールの言う先祖も実は、

自分の前身の事なんだね。過去の、

己。それが先祖の絵や花なのだね。

ランボーのイルミナスィオオンだの、

イリュミナスィオンは、まあその、

宛先が最大の詩である永遠の写真、

肖像写真なのだね。それは性的で、

卑猥なバッカス祭の嘆きでもある。

盗まれた心臓も、そうだね、何か、

戦の最中、無理に抱かれている、

そういう交合の図なんだ」と、

考えてみると、弁慶石の図は、

アルチュールの『盗まれた心臓』

の新兵の嘆きでもある。それは、

単なる苦しみではなく、性的な、

深淵の暴露であり、磔刑なのだ。

それは告白などというものでは、

ない。避けがたい天使の白状だ。









続く・・・



未校正

Re: Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/03/12 (Mon) 23:07:47



彼の体は風呂に入ってもいる、

などと言うが、我と共に居る。

詩を書けと言うが書かせない。

エルヴィスは確か浴室の内で、

聖骸布の科学的調査という本を、

傍らにして舞台上の人生を終えた。

京の三条の弁慶石は常に水浴びし、

勃起させられる嘆きの天使像だが。

瑠璃に浮かぶ我自身である天使は、

鎧を着ている。しかしそれも我が、

湯浴みした時肌に着けていたので、

風呂桶の湯と汗で浮かび出た絵だ。

そう言えば、以前彼は浴槽を恐れて、

自宅には、シャワーしかなかった。

母のグラディスが、彼が風呂場で、

寝てしまい溺れる事を恐れてた。

彼は、母の心配も忘れなかった、

それでも、浴室で人生を終えた。

湯浴みの湯とは現像液にもなる、

己が愛とは聖骸布の伝言だ。そう、

仏語では湯浴みも現像なのだから。

出奔したアルチュール・ランボー、

逃れる遮那である。我は何時までも、

御伽話の如き日本の貴族も覚えてた、

けれど、独逸のライン川だの南米だの、

辛い日本はランボーの異郷に混じり合う。

記憶が、未来にまで逃れてゆくのだ。

(我は南米の独逸人街に住んでいた)

ああ非業の愛など記憶してられない、

その我自身の葛藤を思い出させる彼、

彼の刀、彼の、危険きわまる情を思う。

我らの言葉は火種だ。ランボーの詩の、

{汚らわしい忘れ名草、膨れるシャツ、

湯浴み}とかの部分も要するに、ああ、

あの衣々の記憶と花が現像される恐怖、

バッカス祭のフレスコ画に照らされる、

そんな恐怖だ。『イルミナスィオン』、

それは彩色絵画であり、挿絵であり、

写本の手描きの装飾済み頭文字の光、

(電光に彩られた掲示板のようだが)

そして、花や唐草の絡みついた言葉、

名、絵と花であり、啓示の光であり、

湯浴みにより現像させられた写真だ。

ランボーの写真にはサンダル履きで、

岩の上に人の姿が落ちているものが、

写っている。それはランボーの足を、

欲しがっている。アラン・ボレルは、

それを、詩人の仮面の一つだろうか、

とも呟いている。岩の上にも永遠だ。

太陽と海、遮那と憲海の交合だけが、

何故永遠なのだろう?我ら二人だけ、

唯一性の恋から逃れられぬのだろう?

戻橋の永遠の庭、火水の交わる処だ、

その正方形の内側に白い小石が一杯、

敷かれている。玉敷きなのだ、愛は、

濡れた石の褥が、火と共に記録する。

彼の舘の正方形の中庭は誓紙であり、

あれは、我らには平安時代の写真だ。

満月の夜の、閨で抱かれた後外に出て、

雨に濡れつつ、石灯篭の火に輝きつつ。

狂乱の行為自体を永遠の詩にするため、

愛を誓う牛玉は、薬師の瑠璃となる。

詩とは、むしろ詩ではないのである。

我らが幾度も幾度も反芻している湯、

あの火水こそ、戻橋の詩句を現像し、

衣川の流れる先を、再び呼ぶものだ。

中庭の白い砂利の、中央の黒い小石、

それは彼の故郷の烏、太陽の芯である。

ああ大黒の柱。「現像されてしまえば、

それが体になるだろう。思い出すなら、

見えるもの、感じるものが体となり、

手で描く事も出来ない、意味自体の、

絵にもなる。この腕の中で、君と、

俺の言葉だけ、実体化するのだ。

それは単なる文字を目指さない、

実際の成就を目指そう。だから、

常に頭上で煌めく俺らの彩雲も、

義経の紫雲の約束の体現さ、そう、

田辺の宮の、仮庵山の虹の日輪も!

この弁慶自体の恋の能力であると、

知ってくれよ」色こそ半身を証すのだ。

我は書く前に、もう一度歌を聴いてみた、

この詞自体を、もっと丁寧に聞き取った。



『 "Can't Help Falling In Love"』

{理性ある者らは言うのさ、"愚者(道化)らばかり、

錯乱してなだれ込む"と。俺は、君に惚れてしまうが。

俺はとどまるべきかな?それは罪になるのだろうか、

もし君へと、俺が、惚れずにはおられぬ男なら?

流れが確かに大海へと注ぐが如く、愛しい人よ、

これらの言い表し難い、大切な何かというのも、

ある意図によって、なるべき運命へ到る(言葉)。

手を取っておくれ、俺の命の全てをも受け取って。

For I can't help falling in love with you.}

エルヴィスの恋歌の、歌詞の方はこんな感じだが、

よくよく聴けば、これも言葉に出来ぬサムシングが、

元々の意図通りに、字を超えた告白の意味を体現する、

という宿命の歌だ。ゆえに、我には Forの意味まで、

俺は君に惚れずにはおられないのだから、と取るべき、

"~だから"を超えて、この題名自体をある目的とした、

This train bound for Tokyo.と言う程度のForの如く、

聞こえもする。『"Can't Help Falling In Love"』は、

歌詞自体彼向きだ。それは言い表し難い、Some things。

だからまず手を取って、言葉にならぬ俺の命全てを捧げる、

この一途さを感じとってくれ。もし、これが罪であって、

理性を失った錯乱と思われようと、意志を超えているのだ。

唯主人公が衝動に負けただけではなく、運命的な何かに、

突き動かされているような、そういう避けがたき歌詞だ。

彼がこの歌をハワイの日本永遠で歌った事自体、重要だ。

『"Can't Help Falling In Love"』が一旦、歌う全生命、

彼の歌の実体となる時、それこそが目的で、約束の時だ。

進み行くのは、空間ばかりではなく時間の旅でもある。

Forも、彼が歌う己が命全て、そしてこの歌全体の謎を、

殆ど環状で意味まで結ぶ目的にもなるだろう。そして、

それが殆ど聖書的な、約束の成就まで匂わせるのだ。






続く・・・



未校正



Re: Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/13 (Tue) 18:54:04



この歌の前に彼が歌ったプレシャス・ロードの詞自体、

似てもいる。安い欲を感じさせぬ、保護者的な恋歌は、

誠実過ぎる不安感に、優しさや寂寥感まで漂わせるが、

この詞の"Can't Help~ing"、"~せずにいられない"、

の箇所は、強い恋情ゆえ制御不可能力だ、とも訴える。

だが知的誠意による遠回りで、字の説明を避けてゆく、

巧妙に練られた詞でもある。到底日本人に分からない。

特に、日本の作家には知的宗教的誠意や謙虚さがなく、

言葉を"人力で創作"可能と思い込める程、愚かである。

ある人間が、何の魂胆や本質を持った如何なる人物か、

と言う自己言及の不可能性を、日本民族は然程考えない。

妄想的民族は、常に音痴なのだろう。意味に関しても、

自分が、ある字に相応しいか否かを殆ど考えないので、

意味論音痴は日本人と言われ、日本で都合が悪くなれば、

別の設定へと使い捨て、使い捨てで、乗り換えてゆく。

欲を曝け出す登場人物同士の、自称他称で剽窃しても、

小説人格を操る作家らの卑しさゆえ、全て不似合いだ。

日本では、歌手がドレミファソを取れないのと同じく、

あいうえおも定義出来ていない、という事であろう。

めいめい自分勝手な妄想を膨らませておきながら、

実際の人格的単語に作家の言い分を添わす事など、

出来ぬのだ。全員、自我肥大をしているのだろう。

しかも、真実から日本の眼を背けさせたいのだろう。

ドレミファソも、単なる調弦の差なら合奏可能である、

それなら哲学的に噛み合う話という事になるだろうが、

東洋人は世界一身勝手な寄生虫で、合奏すら出来ない。

神や運命の意味も消す作家らは、苗字に神を使う程度。

~である事を運命付けられているmeant to beであるが、

そのmeant to beには、~という意図から作られている、

との意味もある。こんな意図で書いたのだよ、などと、

自分で説明可能なものもある。だが恋に関して簡単に、

どの程度真摯で一途な愛であるのか、との男の誠意や、

情熱を、一時に明かす事は出来ない。言葉は何とでも、

嘘が言えるからだし、性欲のみでは、恋愛ですらない。

また、個々人には、自覚的な説明が出来ぬ本心もある。

その本能は、人以上の天や自然の摂理が作ったもの、

何かその人自身の作為や意図を超えたものでもある。

誰が本心を吐露したと騙れど、本心の自己言及自体も、

自己証明自体も、不可能である。詐欺師らしい人物は、

本質を暴露されたら終わりだ。しかし、誠実な男や、

情熱的だが真摯な恋人として『"Can't Help~ing"』

を訴える場合、自分は本気なんだ、と教えたい訳だ。

隠し事をし性的獲物を探す盗作新聞の猿どもと違う、

真に運命の恋だ、と教えたい歌だ。だがここで男が、

この愛は本気だ、運命だ!と言えども証明はならず、

愛の自己言及も不可能である。ゆえに手を取って、

人生全てを受け取って、とだけ言う。そうだから、

台詞を超えて、共に過ごす生の最初から最後まで、

持続し続ける、真の恋だという解を君は"受け取る"、

だろう、との意味を匂わせる。これら全ては結局、

人が~になるよう、運命づけられているからこそ、

罪を超えた聖なる恋として俗な欲から区分され得る。

mean は「~意味する」の他に「本気で言う」など、

真剣だというニュアンスを持つのだから、この場合、

男が真剣に願った事は、神や運命的な成就に通じる、

という意味にもなるのだ。エルヴィスはこの恋歌を、

自分の公演の締めくくりに流す音楽にしていたが、

たそがれた優しさが、終わりを温かいものにする、

切断的な幕を感じさせず、共に何処かに向かおう、

と観客の心を、誘うような音楽であるからだろう。

しかし、これも、雰囲気だけの問題ではなかった。

だから、彼の舞台人生の締めくくりにも、やはり、

流れる川が海を目指す『アンチェインド』の歌で、

彼は人生の事実へと繋げたのだ。そう、それは、

例の"俺の人生全て受け取って"、という台詞に、

注ぎこみ、なだれ込む錯乱だ。彼の最後の時期に、

何か察知し、恋歌に意味の重みを持たせたのだ。

あの衣川辺りで、弁慶が人生を終えていたから。

弁慶石は、三条や五条に帰りたいと叫び鳴動し、

義経との約束の、六道辻あたりの五条ではなく、

戻橋の心を可視化する六角堂の付近に運ばれた。

彼の記憶は川の流れを遡って来たから、一条の、

戻橋の流れを本来念頭に置いていたのだ。彼は、

熊野を出、京の戻橋に棲んだ鬼一であり弁慶だ。

弁慶は川や海が見える舘を好む。新潟の方では、

海辺の社に観潮閣などと名付けた事もあるのだ。

衣川での彼は立ち往生でもあるし、死を死なず、

生にとどまってた。弁慶石も、彼がとどめよう、

とどめようとした永遠の一夜だ。そこには彼の、

罪に関わる不安もある。多分我らにとっては、

詩や歌自体、恋情をとどめる事の罪だった。

小説は宛名に勝てぬ。彼と我の生の重みだ。

『好きにならずにいられない』の歌自体を、

歌う事も、罪なのだろうか。好きな相手を、

明かす事、世間で好きという事自体が罪か。

その言葉の対岸に行き着く事が、弁慶には、

そしてエルヴィスには罪の御神渡りなのか。

だが、"言わずにおられず"歌った彼の情熱が、

歌全体の生命を抱えて、題自体へと投入され、

円環も、中央の点を受け入れる。そして漸く、

歌は特定の、意味らしい意味を得るのだろう。

言葉、キリストの磔刑への共苦と同じ事なのだ。

東洋の作家らが読み書き出来ぬのは、この点と、

定めの十字架の名すら認めず、字を選ぶからだ。








続く・・・



未校正

Re: E&J共作詩)『 - Foutchi

2018/03/13 (Tue) 19:07:58

英語歌詞つき(好きにならずにいられない)
エルヴィス 歌
http://www.myvideo.ge/?CI=1&ci_c=video&ci_m=embed&id=KnhamPnvXuQ

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/03/14 (Wed) 02:31:54



キリストの罪状版は、何の罪であったのだろう、

(宛名のある愛を、唯一の神が白状した事で)

弟子達や官民も、神の人類愛に失望したのだ。

だからキリストが唯一の愛され子であるのが罪、

とされた。己を己だと明かす真言への嫉視だ。

しかし、創作された言葉はなく、言わずには、

おられぬ言葉である。言葉一つ一つが名前と、

場所を持っている。我らが何か話す都度、詩、

または文は、迸る流体のような一途さを保ち、

運命的に特定された意味へ流れ着く。彼の声、

好きにならずにいられないと歌う声も、愛を、

高度な"環状のトートロジー"の中、実現する。

{何故俺が君を、愛さずにおられないかって、

『愛さずおられぬ』と、とどめざるを得ない}

愛に磔刑され、己の全て捧げざるを得ない男だ、

転生して来た命全てを、捧げざるを得ない恋だ、

と暴露している。誠実な暖かさに暗さが混じり、

奇妙な切なさも漂う。他人の目に顕われない心、

異界的な罪と恋慕が、ある一人へと明かされる。

我は漸く、彼が関わって来た"言の歌わせ方"を、

感じ取り出していた。気配が淡いので見やると、

エルヴィスの心が、弁慶の身体に重なっていた。

「ああエルヴィス!!まだ弁慶に戻るのは早い、

今、ちゃんと君にも歌うのだ」と我が慌てると、

彼は「違うんだ、ジェス。俺はちゃんと待って、

耳を傾けている……。抑圧してきた真の己も、

俺に心を開いて、静かに待っている。俺はね、

ジェスの準備も出来た事で、漸く自分自身の、

海辺へと辿り着いたのさ。風呂は、そうだね、

あの、戻橋の四角い中庭の温い雨中での逢瀬、

そして遮那王の記憶の現像だ。同時にその海は、

俺達の星空の海である瑠璃だし、憲海の海だよ!

鬼一である弁慶が、俺の辿り着くべき聖なる本心、

本質だ。だから俺はエルヴィスではあるけれど、

人の知らない真のエルヴィス自身に戻っている。

今は、迸る情が、俺自身の暖かい体を得ている。

ジェスだけに捧げた、本当の俺の愛。彼は海で、

温かな風呂だ、それで危険な恋を知っている。

致命傷それ自体の記憶、危難の場所だ。でも、

真の肉体こそ真の居場所であり、それが俺の、

故郷なんだ。遮那と巧く繋がるためには俺も、

俺自身へと、到達している必要があるんだよ。

常に相手だけに求めていれば、恋も上手くは、

ゆかない、だろう。以前の記憶で、俺自身が、

愛しい心を逃がす体のように、不安だった。

でも恋の事ばかりに囚われて、俺自身がね、

本当の俺を大切にする事を、軽んじていた。

自分の本質を大事に出来ない男が、歌だけを、

目指し、歌で恋を語っても、告白にならない。

いや、告白を歌い終えても、自覚ができない。

俺にはやっと、自分らしい状態が、分かった。

真の自分とは、俺にとっても悲劇の忠僕であり、

しかも恋自体だ。彼のように、本当に愛せる人を、

誰だか見分けられる、彼は自分の目と心の目だ、

その視力こそが、遮那の毘盧遮那の力でもある。

価値ある耀きでなければ、真に愛せはしない。

俺、エルヴィスは、義経の光を失った日本国の、

文字のようだったんだな。今は満たされた。ああ、

俺は犬好きだったが、弁慶は雄猫を可愛がってて、

それが雄だから、縄張り争いの喧嘩のため弁慶の、

元を離れて、出て行った事件もあったよ。それで、

俺は、猫が苦手になってた。でも、君という猫が、

つまり、一見つれない相棒、するりするりの恋は、

本当に、帰って来てくれたんだな……」と笑った。

以前は、彼が思い出す事も辛い弁慶の魂だったが、

今や、凍えたエルヴィス魂を温め、故郷の方角を、

教えていた。その方角は、現代の地上にはなく、

彼はハワイの方の日本庭園を懐かしんだのだ。

その彼と同じものを、我は心の力で捉え出し、

額の目で見詰め出した。月の愛され子だとか、

月の養子と言われる南十字星、あの葉室星だ。

彼は恋歌を渇望するよりも、既に確信しつつ、

満たされた様子で、こちらを見た。我は歌う。









続く・・・



未校正


布置将臣 © 


組織的になりすまし敗訴した作家らが
日経などの新聞連載の小説で
文字をここから盗み、
シンボルを切り貼りして、
盗作しています・・・

Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©1日(天赦日なので1日)

2018/03/16 (Fri) 19:59:50



真の名に浸ろう、早春の雨、先走った花時雨よ。

傘はないのだ。それに、氷なら溶けてしまった。

騒々しい音楽が過ぎる!我らは見えぬ道一筋を、

手繰り寄せて行く。西の方からは、雲の海と風。

風に潜んだ情は、左方から右方へ一息に到来し。

弁慶の杏とエルヴィスの李が同じ十五日に咲き、

その間に生えた遮那の姫辛夷も、同日に咲いた。

此処は、東国の庭、とても静かだ。諏訪の方は、

誰も、もう水面の道など見ていない。高台から、

福寿草の黄金の色が、湖を眺めている。溶けて、

流れた陽光は浮かぶ瀬もない。三世の誓いの底、

呼び合う恋ならば、記憶の断絶も、危道もない。

我も君の海辺となり、流れと海を受け入れよう。

痛む夜の体はないさ。雨を躱す事など出来ない、

ジェスの名を繋ぎ結ぶのは水の糸。人々は我を、

知らずに"ジェシー"と呼んでいる。その地上の、

名前ならば、読み書き戦さも遠い。我と彼は、

米国南部の伝統通り、御揃いの音を持ち。既に、

双子の男など失せ。離縁なき真の番いは交合し。

恋に子はなく、彼は永遠不変の恋を、育んでいる。

抱くための逢瀬はなく、抱いて逢瀬を育てている。

……海が、育てている……終わりのない愛の詩を。

人々は消された美談は見ない。義顕だって、義行さ、

偽の名ばかりさ。死は北へ逃れ、誰も止めは刺せず。

君は我を知る。女達は今や男を知らぬまま子を産み、

遺産目的で前夫を殺し、当人不在で都合良く作話す。

ああ、米国人らは、弟のジェシーなんて探している、

我ならば、安全だ。人類は全て男を知らない。だが、

月の歌は鴛鴦の糸になり、愛には愛を重ね来る。

(君がジェスだろ、見付けた!)エルヴィスは、

瞳を据えて「女達や男達。誰も俺を知らない。

誰もジェスと俺の関係を見ないから。俺を誰も、

知らない」と、口を使わず、顔に浮かべ語る。

彼が傍に居ようがいまいが誰も、彼を知らない。

人々は、我を知らない。彼は何か歌っているが、

誰も心の声を聞かない。雫が連続して落ち来る。

点は線。ジェス、エルヴィス、ジェス、エルヴィス。

彼は、何かを読んで学びはしない。脚と脚が絡んでる、

でも、座ってはいない。以前の負い目を読ませもせず、

一筋、今になって言いたい事だけ、彼の心から溢れる。

未知の歌。ジェス、エルヴィス、ジェス、エルヴィス。









続く・・・



未校正


布置将臣 © 


E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣

2018/03/20 (Tue) 01:25:57



し、黙って。もう双人は既に、双子なんかじゃない。

そうそれ、だよ。ああでも勿論、双人は双子だけれど、

言の葉なんて常に、例の磔刑の側より、世の皆の側さ。

だから、唯一の詩だけ書かず伝えずで、秘めておこう。

恋が恋で愛が愛なら、意味通りに世の中は渡らないさ。

そう我は澄まして、以前の威厳を保とうとする。ああ、

でも勿論、威厳だけじゃ、以前の君に通らないのだ!

(唯一の情を、大軍の前で披露せよ)君は既に例の、

僧兵の扮装をした我慢の恋じゃない。ああ、ああ!








続く・・・



未校正


布置将臣 © 


Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/03/20 (Tue) 02:17:47



共に来るため捨てた大事な君とは、今や、今こそ、

発芽しつつある人称だね、我も嬉しいよ。ねえ、

君と我しか分からぬ事を、どんな風に人の中で、

証明したら良いだろう。(理解などはないぞ!

真に真剣な解き明かしなら、世の理解もない)

(何のため白状するの)(何のためではない)

そうだ、我らの言葉は一切の報酬を拒絶して、

名誉のためでも富や地位のためでもなく恋の、

勝利のための勝利を歌うし歌っていた。そう、

簡単な事だ。(我が以前担って来た世の中、

誠実な他の情が、悲鳴を上げる)そうだよ、

何処かの従僕の自己犠牲の言葉も、唯の、

犠牲ではなくて、言の葉先を揺らす喝采。

君からの喝采、我が満足。は、は、は、

何てことだろう!強烈な残忍さもなく、

解き明かせる恋も、ありはせぬのに。

切っ先だ。真の愛を明かす双人の非情、

激烈な無情さばかり、試されている。

愛だの恋だの。確かに我らの恋には、

怖い誠や熱が有る。だから担った昔の、

世の文字群は苦しみ出してる。ああ、

確かに我らの恋愛のみが恋で有る、

恋なら残忍にならねばなあ。あ、

ああ、そうだ。(唯の薄情者に、

恋は証明出来ないのだよ、だが、

その、依怙贔屓の罪を恐れても、

一人も救えぬし救われぬのだぞ)

双人が双人のみに捧げる恋の切なさ!





続く・・・



未校正


布置将臣 © 


Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/21 (Wed) 21:34:13



果なき彼と彼の来世の間では、我なら、

迷っていないさ。永遠自体は長すぎて、

奏でられぬが。人々が知る言葉などで、

弁慶と呼べば、話す瞬間迷ってしまう。

彼が秘めた彼らしさは、秘所に合う鍵、

花の奥まで流れ、戻り橋の下を貫く水。

今では其処に、早咲き桜が降り注ぐ。

あの頃の川を満たす雨水が不滅なら、

今こそ戻る夜である。橋と言うには、

危い春も、愛の季節から恋の季節を、

繋ぐのだから。恐怖!成就への恐怖。

世の字では逢瀬と別離は正反対だが、

双子の魂ならば、単純な交合はない。

文字の曲線には、何一つ特異点はなく、

文字その体が、成就も翳も体現しない。

キリストの天敵とは、世の字そのもの!

そして世の雨なら、戻橋の庭に墜ちず。

(エルヴィスの心の中のジェスは常に、

濡れて泣いてた。雨に、緑色の弁慶石、

春の色。石の天使は愛される程涙する。

義経の心に再び、切っ先の記憶が過る。

空っ調子だ!痛みが痛みなら辛過ぎる)

共に落ちているのか、浮かび上るのか。

真の君を求め、言葉は辿り着くだろう、

衣川の事を記念して。亀が浮かび上る。

不吉であっても、終の玄武のみが恋を、

鞍馬や貴船に戻すのだ。山上の海へ!

頭部を入れよ、龍穴を得るなら蘇る。

高所で溶けた海路を誰が信じられる?

雫。彼の信念が歌ってる。I believe,

for every drop of rain that falls,

落ちる露で花育つと。A flower grows.


Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/03/27 (Tue) 00:50:16



僧正ケ谷の不動にも不二の半身が要る。

邂逅は盲亀浮木に入り、優曇華の開く頃。

十五日、同時に咲いた杏と李、紙垂辛夷。

彼の花木はその杏と李、桃や桜花の類だ。

(天狗と牛若は互いの花々が欲しいのさ、

千本桜の舞台でも、癒されぬ恋仲だから)

紀州田辺の稲荷神、京の伏見へ辿り着く。

稲荷の穀霊の秘事は、開花の中に潜むよ、

遮那は、かぐやの如き難物。謎掛けなら、

謎自体は伏せてあり、花ならば見えない。

伏見の深草が元は紀伊郡であったように、

紀一だった弁慶の、稲荷の愛法は消せず。

義経が隠そうと試みた憲海の心の呪文に、

井戸水を浴びせ、冠の稲荷を置き去れど、

海自体祓えない。深草のかぐや姫か小町に、

その深草の少将たる僧正遍照は最後の一枚、

苔の僧衣のみ渡さず。愛の花を幾本も植え、

もも夜通いの願掛ける都度それを増やし、

口では、世の花の衣に焦がれてると言う。

弁慶の恋は、千本桜ならば出番もないし、

天狗と牛若は別の桜へ赴く。束稲山から、

桜千本も我らも消えて、言葉ごと全てが、

人類から消された。色恋など禁忌なのだ。

何であれ願掛けなら千夜か、もも夜通い、

更に千本目の太刀が必要である。そうだ、

弁慶には宿願があったのだ。失せものは、

最後の一厘、また、一輪。引き板鳴らし、

我らは他の鳥達を己が田から追い払う。

対決の橋!我と一人で対峙する英雄は、

彼のみだった。害鳥には戦が出来ぬし、

群れて文字を謳う。しかし戦も愛であり、

彼こそ我が愛。物語の大伴家持は何故か、

かぐやを家に迎え入れる準備までしたが、

姫の要求通りの龍の珠などは得られず。

彫刻の龍すら珠を可視化出来ないため。

願う者の、心には心が欲しいのだろう、

体には体、魂には魂を重ねたいものだ。

そして人々は諏訪の梶の葉から七夕に、

再び御神渡りを思い出す事にもなる。

昔、遮那王のために鬼一が鞍馬へと、

戻橋から七日に一日通って来た頃は、

陰陽道でも七曜絡みの行動だ。愛も、

彼自身が奔走した絶え間ない七夕だ。

其処から幾度も遮那に文武を仕込み、

十分戻橋の力を鞍馬に繋いでからは、

彼は貴船口にも葉室を建てる。ああ、

地に墜ちた唯一の天人である遮那の、

変わらぬ唯一の彼だけが聞いている。

我らが地で永遠を乞うた戻り橋とは、

通過する点でない、婚礼の宿である。

神の言と言のみ共に棲んでいたので、

他の人類に、言葉の意味は聞こえない。

彼も、物語の家持のように室内を整え、

名を受け入れる準備をし、待っていた。

だが、愛は即座に当時の関係を失った。

遮那が、公的な戦士としての生を願い、

何度であれ奥州へと逃れゆくからだ。

鬼一である弁慶は碓氷峠や相馬山に、

あの夜の跡が残る数字詩を撒いた。

「山路は寒く寂し 一つ家に 

夜ごとに白く ももち置く霜」

一つ家の碑に残る弁慶公遺言。傍に熊野の神社が鎮座する。

彼が秘めていた歌とは誓紙への誓い。これこそ御国書でもある。

彼が求める義経は彼だけの天皇である。磐之媛命の詠った歌四首の、

「君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」

「かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 岩根しまきる 死なましものを」

「ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我が黒髪に 霜の置くまで」

「秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ」

などに書かれた山路の遺言を、意識した詩句である。その上彼は、

一般的には大伴家持の作とされる文も踏まえていた。

「かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 

白きを見れば 夜ぞふけにける」という歌、

この中で"置く霜"とは宮中にかかる橋の上で、

耀く霜の事、または、天の川の冴えた星明りだ。





続く・・・
未校正

Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/03/30 (Fri) 01:55:30




(『一つ家の碑』は、天明三年の噴火で埋もれ、

洪水で流され。熊野の社人は記憶を元に再建した)

彼の風呂はまだ終わらない。そして我も謎へと浸る。

(違う数のもあるねえ、四五十三二四六 百四億四六!

この場合は、"夜毎身に染む、ももよ置く霜"なのかな)

(四六を霜とは読めぬだろう。だが一と九、四と六なら、

和して十だ。三三四も、六と四で十だ。末尾は全て十だぞ。

末尾十なら良い。千や十一も十の字が元だよ。ここを良く知れ)

『御国文』が、義や義何を置くとも、と呼ぶ横の『一つ家』の詩。

文字などは、写しによって、少しづつ違ってはいるが、大体の処、

「八万三千 三六九三三四 一八二 四五十二四六 百千億十一」

「山路(は) 寒く寂し 一つ家に 夜毎に白く ももち置く霜」

である。(磐之媛命の遺言と、かぐや姫に家を用意した家持と、

家持絡みの"鵲の置く霜の橋"を、意識して読めばいいんだね?)

勿論かぐや姫と家持の絡みなど事実ではなかろうが、当然、

戻橋の舘を遮那を迎えるための家として準備していた彼、

鬼一と遮那の当時の恋の、擦れ違いを思い出す話なのだ。

我らの辛い記憶。末尾の十一は霜月の連想から霜と読む。

(そうだ。山路、ももち置く、だが。遮那に解けるか?)

(うん、八万四千は仏教的多数だろ。三千も三千大世界だ、

でも七夕の七絡みなら、七が基礎となる八万四千の方が肝要。

須弥山が水底より水面まで八万四千由旬なら、八万三千地点で、

未だ千も足りないんだね。もも・千・おく!多い数の単位だね)

彼は(然程の数が必要な訳が分かるか)と問うた。我は答える。

(深草の少将なら、もも夜通い。弁慶なら千の刀でも必要だね。

区切れ良い一塊となる多数を揃えるのが、当時の願掛け法だし、

それで一つでも足らぬなら、実は一どころか全て足りないのさ。

勿論その全てが、少将最後の一輪の花、最後の一夜!それから、

弁慶にとって必要だった最後の一本、最後の一厘になるだろう。

兎に角九十九なら一というより百足らず、九百九十九は千不足。

違う状況でやり直すなら、再び、千、登らなければならないね。

じゃなければ、更に又一歩踏み出し、更に万まで揃えなければ)

彼は、それを聞いて笑っていた。単純に彼は面白がってもいた、

しかし、今まで願掛け以外にも、我のために苦労した事が多少、

偲ばれる表情だった。我としては無駄な苦労は掛けたくもない。

御神渡り。弁慶の輪宝紋の主や神器は、丸の中心。世の中心で、

須弥山が水面から突き出している。その頂は正方形の平地だ。

後に弁慶と名乗った彼・鬼一法眼は、堀に囲まれた正方形の、

舘に住んでた。四角い廊下と縁側で囲まれた中庭も正方形だ。

だが家の周囲の堀の水にしても、防犯ばかりではなかったし、

戻り橋の舘とは、異界との境目、須弥山の頂でもある。そう、

彼にとっても我にとっても、あの頃の一夜で既に一厘の、

仕上げの時を迎えたかった。だが祝福の露は奇妙な事に、

不可思議な雫へと変わり、情愛は、堀へ落ちて溺れる。

(何を登ってると思う)(一つ家へ到る山の路をば、

共に登ってるんだね。先に、鬼一の屋敷がある。ねえ、

家というより須弥山だねえ、聖所としての宮なのかな)

(ああそうだ、我らが捨てた戻橋の家こそ須弥山の模造。

実際に、異界に建っている舘なら本物だ。あの『一つ家』

の詩こそ義経への願掛けだ、と告げるものこそ『御国書』だ。

「よしやよし 何は置くとも み国書 よくぞ読ままし 書読まむ人 」

と、数字で書かれた暗号が残っているが、これは義経を呼んだだけで、

数全体の意味はない。大事なのは一番最後の数、ひと、一十、のみだ。

見れば、一つ家の詩で対応するのが、末尾の数が、霜、十一、の方だよ。

国書は天子絡み、日月の神示だぞ)と言う。弥勒!『一つ家』の三六九。

金沢称名寺の、弥勒仏の像も、義経の得道を祈る願文など封じていた。

ああ、義顕などに改竄されぬ"義経"の名を知るのは、弥勒だけだった!

あの頃の連中が願った遠い未来になる前に、記憶は我として蘇った。

そうして、宿命は未だに、願掛けの奥にある本性なのだ。彼と我。

義経と弁慶の絆は、弥勒信仰の花郎的であると巷の人々は囁く。

だが義経には情の他に人に与えるものがなかったので、彼のみ、

特別に感じているなら、なるべく己を隠さねばならなかった。

弥勒仙花は、印度から来て新羅の傭兵になった戦士にとっても、

稚児的な美と崇敬の対象だった。距離感や長年や多数と関わる、

それが弥勒の特徴であるのだろうか。盲亀浮木に優曇華の花。

その暁には!八万四千に三千、百、千、万、億、弥勒の誓い。

十でも百に繋がる単位であるし、龍虎の書の和とは十である。

(一と九の和合で十だ。そして最後の一厘などと言うけれども、

当時遮那が、鬼一の稚児であり続ける事が出来なかっただけで、

公開せずとも内的に足らない愛はなかった。もも夜通いにせよ、

憲海鬼一は何でも出来た、我らは千本でも揃えられた。何を今更、

足すべきだろう?)(一つ家の詩で末尾の和が十以外の数を御覧)

我は、『一つ家』の数字碑を、見直した。一番最後は十一である。

「八万三千 三六九三三四 一八二 四五十二四六 百千億十一」

「山路(は) 寒く寂し 一つ家に 夜毎に白く ももち置く霜」

鬼一は最初の頃は鞍馬に通って来てくれていた。この歌の中では、

七夕で逢う彼の戻橋の家こそ一つ家で八万四千を満たす須弥山だ、

しかし、お互いが逢える処なら、鞍馬でも貴船口でも良いのだろう。

一般の人間にとって戻橋は多少不吉だが、鬼一には住んでた処だから、

ある意味、彼岸との境界というより、生や愛情そのものの家でもある。

(三三四で十、八二で十、四六で十だけど、千と十一は別だねえ)

願掛けには、丁度よい区切れ目の数字が選ばれるが、それは和だ。

和の象は十または百や千。だが十の上に一を書けば、千の字になる。

御国書の詩では、ひと、一十、とは逆向きの一と十なのだが、この、

十一なら霜月ゆえ霜だ。七夕の橋の霜であり長い我慢ゆえの霜だ。

人間の両手の指の数は、十。十一では持て余してしまう。これも、

千へ到る事を念頭に置いて歩むべき愛なのだろうか?そういえば、

義経の周囲には、千本とか千人目とかの逸話ばかり多いが、その、

千人に一人などと言う話は、希少性の問題にもなるのだ。しかし、

刀千本というのが何の願掛けだか、語られぬ事も不思議であるが、

弁慶または義経の刀狩りも、千本もの刀が欲しかったのではなく、

実は千本に一本あるかないか、という程の宝を求めたと思える。

偶然にせよ、エルヴィスの歌う曲の詞は"スリル"に恋を感じる。

それはは剣豪である男にしか分からぬ情で、名刀に惹かれる情、

自分だけのものにしたい、との欲を表しているかも知れない。

しかし遮那は義経になるために、彼だけのものにはなれず、

真に大事な彼を、磐之媛のように絶望させたかも知れないが、

やはり遮那自身感じた心を彼は分かってもいたのだ。それで、

やはり願掛けである一つ家の暗号も、想う強さゆえ後に残った。

密かに想いを伝えるよりも、これ自体が復活の戻橋の役割であり、

後の世になってから、過去を偲ぶための詩ではない、目的を持つ。

鬼一である弁慶は比叡山にも居たが、其処の『山家学生式』に、

「径寸十枚、これ国宝に非ず。照千・一隅、これ則ち国宝なり」

とある。これは言葉の持つ公的性質、大乗仏教的な徳分に関わる。

それに、山家である。彼がこれも数字詩の鍵にせぬ訳はないのだ。

彼が登った八万三千は、未だ八万四千という無数まで千足りない。

(分かったかな、解けそうかな?遮那)(うん、愛してるからね)

天界の象徴の宝が何であり、彼・弁慶が暗号の中で何を置いたとか、

それに囚われるなら、本末転倒だろう。大切なのは、人物なのだ。

彼もそれを教えるため、戻橋の家を捨てたのだが!そして恋愛も、

互いに信頼や友情を築いた後、私利私欲など捨てる必要がある。

そんな心は、騙す騙される程度の虚像以外への愛なら、必要だ。

恋の信頼関係は、最終的に互いの他を選択させぬ本能ゆえだし、

それゆえの独占欲は良い。けれども、真の欲とは単なる欲の、

捌け口以上の運命なのだ。それを証す言葉なら公益性がある。

生の人間の、つまり話し手自体の言葉や名に必然性もなく、

無理に真意を隠し、象徴を汚す作文とは現代の物語である。

それは犯罪的組織に滅私奉公して来た、小説家らの悲劇だ。

地位に関して私利私欲の塊となり、思想的に滅私した挙句、

真に書くべき事など何も持たず、問題のすり替えばかりし、

自分を失い字を盗む。だが双人の愛の証は滅私奉公でなく、

利害関係や私利私欲がなく、利他の情を表現し得るのだ。

老人達の人間関係には、真の自己犠牲がない。何か常に、

滅私奉公や馴れ合いによって、見返りを求めているのだ。

何も見返りが得られないとなれば、人を犠牲にしたがる。

よって、利益や安全が得られぬ処では、何も語らない。

そういう連中の言葉を、一体誰が信じるのだろう?

弁慶の衣川の立ち回りが、世に向けた恋の告白なら、

それは滅私奉公ではなく、自己主張である。だから、

彼が捨てた保身は、信頼出来る。己の利益を後に、

という思想は、真の恋なら発揮されてしまう衝動だ。

(好きにならずにいられない、か)今度は我が笑う。

我も彼に反応して、段々繊細になってしまうのだ。

喜ばせたいとか、愛があるなら愛してあげたいとか、

こんなのは気苦労の元だ。与一の矢のように決まれば、

それで良い。だが義経の場合、活躍する程迫害が激化し、

成功こそが失墜の元となる人生だった。人の自己犠牲も、

それが貴いものであれ、罪悪感の元である。現代の者の、

自己犠牲とは訳が違う。我らの然程に危い愛の詩句も、

自我もなく居座る作家らの、母性的劣等感を刺激する。

何百年もの前から今まで、日本人全てが恋を禁じてきた。





続く・・・
未校正



Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/04/01 (Sun) 10:28:12



日本の美談や米国の醜聞に、二者間の絶対の恋は存在しない。

人の世に、恋歌はないのだ、宛先なんざ異界にしかないものだ。

それでも照千・一隅、これ則ち国宝なり!義経にとって弁慶が、

エルヴィスにとってジェスが、運命の隅のかしら石であるなら、

それはローシュ・ピンナー、真の価値だけ隠されている要人だ。

弁慶は熊野から来て、伊勢の外宮から稲荷と出雲、そして諏訪へ。

恋よ、新羅三郎の笛を吹く牛若の、調べに合わせ、水面を歩けよ。

"天白は星の次第の神なりや月の輪に舞え"との呪文に、御神渡り。

溺れた処から泳ぎたまえ!水の面を渡りたまえ、薄絹を背負って。

運命の神は織女のようだね、機織りにかまけている。袈裟とは何。

小野小町と僧正遍昭には、実際に、足りない数などあったのか?

深草の少将が僧なら、もも・ち・万・おく、無限回も何と逢うか。

「岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなん」

「世をそむく 苔の衣は たゞ一重 貸さねば疎し いざ二人寝ん」

苔の衣は僧衣である。エルヴィス一人「神に己が全てを捧げるなら、

永遠不壊のソウルメイト(恋人)が得られる」と、頁の隅で呟いた。

神へと全てを捧げる?なる程、彼は、神へと恋する男なのだ。そう、

彼の天子たる主君も、本当は、彼一人だけ熱烈に愛しているのだ。

そんな恋は、孤独な二者間しか知らぬ一隅だ。それは世の中の、

人々が幾度も幾度も、字ばかりで強調する愛とは違う。人間は、

読み書き出来ない。人は真に聞く耳持たず、神、と書くばかり。

子供には、読み書き出来ない。大人にも、読み書きが出来ない。

言葉と共に棲むのは同じ言葉。誰も知らない照千・一隅の恋情。

世に知られた千字も、一隅に照らさなければ世に知らぬままさ、

世の字に偽りあり。神である一隅とは端から明かす危険な言葉。

スリルだけが真の恋、君だけしか、スリリングな人などいない。

弁慶が弁慶なら、遮那王のみ持つスリルだけにしか痺れないさ、

と恋歌が歌っている。比叡で彼が鳴らしている。千を照らす一隅、

翳に隠れた真の運命。照らせよ、照らせよ、照らせよ、照らせよ。

(この遮那も、鬼一である弁慶を、好きにならずにいられない。

そして君の温かさで、安心したい。弁慶の方も同じだ。なのに、

危険な一隅に心を向ける!アルチュールがテーブルの隅に居り)

(弟よ。文学の外の一隅だけ、作家皆から狙われるのだ。その、

小説家の偽証が世界の犯罪自体であると、一隅だけが証明する)

円舞を踊り、我らは中央に向かって渡ってゆくのだ。深淵の夜の、

煌めく飛沫の上。二人だけの水面に、天使の言葉が動いている。

私的な水溜まりは、公共浴場を強いられる。皆が癒されたいのだ、

しかし、十字架の上で湯浴みをしたのは、弁慶一人だけである。

千の文字などまるで、十字架と罪状板。二人だけの言葉が光り、

他の誰も知らぬ事、秘めた事ばかり語る。照千・一隅だろう、あ、

そうだ。私的な恋のみが、大乗の仏教を正当化する言葉であるよ。

親神から唯一愛された子神とは、人間が罪と見做す何かであろう。

その神と子神は、双子の兄弟であり、恋人であり、永遠である。

真の恋なら将来子を孕まない。永遠の恋にも人類の未来はない。

愛し子だけに、弁慶の天狗染みた恋の情がある。剣とは何だね?

修行とは何だ。キリストよ、キリストよ。恋とは人のものでない。

そしてキリストが神らしければ、天の父も神である。子羊の婚礼に、

惨たらしく美しい、恋の秘密まで明かされ、人類は未来を断たれる。

神が唯一欲した子神である。と、それから、多勢は未来を奪われる。






続く・・・
未校正




: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/04 (Wed) 01:09:06



聖者が円教寺を燃やしておらず、女を愛した事もないのであれば、

芝居の未来が奪われるものですよ。弁慶、何を願掛けしたんだい?

三草山も焼いておらぬ我らは、何をしていたのか。鬼一の兵法を、

学んだ頃に、香を焚くが如く、恋に悩む遮那王の事が書かれるよ。

(橋の上の長刀が、此の世の人でない女を探している。女か。女)

何時しか大物浦だ!我らの船は揺れ、海の水を被る。仏蘭西へと、

逃れようよ、酔いどれ船。それからは、悪酔いの飛沫に浸かれ。

愛は、全くの時間旅行だ。愛とは、船酔いのようだ。嘔吐だよ、

だが新聞が吐く印字や挿絵は偽物ばかり。旅しても人は変わらぬ。

旅?それは嘔吐さ、食べきれぬ叢雲だ。臓腑の内とは時の道筋さ、

愛の痕跡自体は、腹の中の紫雲。本心とは、何だろう!愛は再び、

腰の方より腹探る。体の熱に濡れよ。執拗に許されぬ許されぬと、

当時の血族の美談が囁き、その誘惑に負け又も彼を追い出すなら、

衣川で偽の紫雲を掴む事になる。二人だけハラワタで繋がってる。

敵群が血の匂いに飢え臓物に飢えているのは分かる!だが主従は、

熱き血潮の魂さ、殆ど一本の血の管で繋がるならば、歌う文だよ。

相愛関係の言葉と言葉であり、神と神である神と神の言である言、

この歌は当人同士にも秘密であるのだ。(抱けば抱く程に、ああ、

肝心の告白なんざ伝わらない。もし鬼一が吐露するならば、そう!

多分に、遮那の告白の半分なのだ。言葉の割符以外は芥に過ぎぬ)

半身同士で抱き合うなら、腹に秘める愛が増えるばかり。古の、

立ち往生の心身が意味するように、恋は不死身の正体だ。何一つ、

足りない行為がない。足りない愛の情感もない。足りぬものとは、

証し以上の公的な証しである。我は隠れている。弁慶が出てゆき、

奥州の行く末を案じる西行の、齎す言葉に耳傾ける。聞けば、

義経が生まれるより前に、出家後西行は、鞍馬や貴船に居た。

失われた何かを思う刻限か。何故愛する程に、冥府の匂いや、

恋文の香にも不滅の歌を聞くのだろう?二人は奥州で既に、

異界的な愛の言葉を失った。どれ程弁慶が恋を奪いたくとも、

義経には、苦難の中でも絶対に、心変わりせぬ家族がある。

信用が置けず、心変わりしやすい臓器でないのか?女など。

釈尊の家族は邪魔者である。妻すら、信用が置けぬはず。

だが弁慶の恋の美談を、他の貞女達は何故だか消したのだ。

長い間秘めた事を弁慶は、西行へ漏らさずにいられない。

「こんなに辛い恋になるなら、奥州に来なければ良かった。

そう思う己を責めても、何一つ変わらないのです。この、

御仏の慈悲に満ちたはずの北国も、黄金郷の地獄です。

恐るべき吉野の雪山を越えた時ならば、二人の希望が、

あったのだが。霜雪の道中、死しても良いと思った。

彼女こそ同行の半身、あるべき状態へ戻したい我が恋、

余所者に渡せない恋です。それで都で得たものは捨て、

己が知略を尽くし、命掛けで仕えたが、何にもならない。

真の恋など、世では自分のものにならない。この自分は、

実際は唯人ではないため、人間の女など愛せないのです。

元は同じ浄土の同じ宮で、二人愛し合っていた。我らは、

元々互いの腹の奥の真情だ。だが虚仮の世では何であれ、

他に知られず。恋に悩むなら、この弁慶は魔王となる。

あれの独占的な愛から、求められて愛し返して来たが、

他の大勢への奉仕も虚偽の生もある、と言わんばかり。

吉野の霜雪も、二人で知るなら甘美な桜吹雪であるが、

あの奈良の山を越えた今は、別の寒さと寂しさのみだ!

黒い僧衣は、虚仮の世を背く己の、虚仮の衣であった、

恋を守るための墨染の衣だった。今は束稲山の桜を、

自分一人で眺め、そこから都の桜を想います。ああ、

此処では花と月が慰めだ。鞍馬で見た桜花を自分は、

御仏の奇蹟と見ます。だから今でも、この弁慶には、

何処の桜であれ、あの時、あの場の桜しかないのだ!

だが奥州では、何を咲かせたら良いかも分からない。

自分にとっては、恋のみが世俗事ではないのです。

元々自分は文武の師範で名を馳せましたが、今は、

僧兵を装うにせよ、実際守るべき者が必要でした。

恋人のため出家者になり、世全体に背いたのです。

だが地上の僧衣を得ても、異界の桜は得られぬか。

ならば学も政治も捨てたい。世の全てが虚しいのです」





続く・・・
未校正




Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/04/05 (Thu) 01:46:08




西行は、その内面に呼応して、

あこぎ、という表現を使う彼、

弁慶の説明を不思議な気分で、

聞いていた。「それは何一つ、

拙僧などに答えられませんが、

こうも思います。此の世の宿、

仮の世で、真に愛せるものが、

あるならば、それは何もかも、

移ろう俗世に似合わぬ美です。

実は私も桜狂いの武士でした、

そしてそんな心を捨てきれず、

いや、むしろ心を捨てぬため、

世を捨てたのです。政治だの、

他の人々との醜い派閥作りや、、

権謀術策から無縁になりたくて。

しかし生きている限り、生活を、

しているだけで問題も起こる、

いつまでも自由人にはなれない。

一方、私の花狂いは自由な心だ、

自ら望んで花に縛されるのです。

それは生活に関わる愛でなく、

宗教的な情熱に近い憧れです。

女を囲い力を誇示する男らの、

世俗の欲望などに、桜は応えぬ。

私自身、元々世俗面の欲望が薄く、

許される事だと思いました。だが、

あこぎではないか、と、言われた。

ああ、"あこぎ"な性質を感じさせた、

清らかな眼差しをした人が見るなら、

もしかしたら私の心は醜いのか、と、

感じました。我が恋とは邪な恋だ、

と、大切な者から思われるならば、

今まで私は気付かなかったけれど、

間違いなく、心が穢れているのだ。

唯一無二の相手を失望させたのだ、

ならばもう絶望するより他にない。

西方浄土を目指す、西行になった、

その理由は、そんな事なのです。

ああ本来、同行二人と呼ぶならば、

人の身でそう言える絆はないのだ。

ならば恋と同じく、あこぎ、であり、

そこまで特別な心を誓い合っても、

身の程知らずの思い上がりだった、

他からそう思われるかも知れません。

しかし貴方の話に誘われるように、

別の想いまでも浮かんできました。

自分では意味すら確められぬ事で、

確めるのも恐ろしく思っていたが、

実際、拒絶されたのでは、なかった、

かも、知れませんね」そう語る顔を、

見詰める目線は、段々と深くなる。

「ならば、本心は何と思われます」

彼が尋ねた。西行は「勿論ただの、

拒絶かも知れませぬが。単純に、

"邪な想いではなく、本当に?"

と尋ねたかっただけならば、

した事と心の良し悪しですら、

なかったのです、それならば。

欲求だけでなく、真の心を、

知りたかったのでしょうね、

もし、それならば。今では、

確認しようのない事ですし、

何を真心と思ってくれるか、

これも今は分かりませんが。

そうだったならば、ですよ」

と答える。「自分は相手を、

一筋に思い、いつもいつも、

尽くしては来たつもりだが、

真心が足りぬのだろうか」と、

弁慶。西行は「尽くすだけが、

心ある恋の表現ではありません。

誠意や愛情が足りぬ訳ではなく、

真の心すら伝えておらぬのでは?

得体の知れぬ絆のままでは相手も、

貴方への扱い方すら分からない」

と、彼を見た。彼は、黙った。

弁慶は歌舞も得意としていたが、

今まで他の誰かに恋した事も、

香を焚きしめた文を贈る事も、

知らなかった。只管彼は無骨な、

硬派の修行者として生きていた。

また立場的には、乳父同然で、

学問と剣の師でもあったため、

遮那に恋を告白する事などは、

出来なかったのだ。言わずとも、

分かるはず、ではなかったか。

彼は多少うろたえつつ「確かに、

告白は足りませぬが、自分が、

申しましたように、恋などと、

いう言葉すら足りないのです。

それは、世の人の想いでしょう。

言葉とは全て世の人の言葉です、

真に理解されるとしたら彼女だけ、

互いに、気ごころが知れているのに、

それでいて、すれ違う絆なのです。

ですが兎に角、法師へと言う事は、

出来ました」と遠くを見て語った。

「その墨染めの僧衣こそが貴方の、

花を思う気持ちなのですね。私も又、

そうなのです。喪服の如き衣ですが、

衣の下でも桜花を望む。枯れぬ花など、

浄土にしかない。それでも月輪観では、

行者は、清浄な蓮華を月に観想します。

蓮華や桜、と表現しても別の呪文だが、

その一輪一輪の違いを見分ける瞳は、

人への想いだけなのかも知れません。

貴方がもし、夜空の全てを照らす月なら、

真如の桜花が何処にあっても、見失わず、

見付けられるでしょう。一方的な恋ならば、

月のない夜の桜のように、応答がないもの。

しかし、月の心が花へと、花の心が月へと、

双方向に伝わる時には、月の浄土の蓮も、

穢土の桜も、違わないのですよ。貴方が、

何らかの恋の成就を目指すならば、その、

花からの、応答の証しを得るでしょう。

会話した、会話しないではなくて、

ある人が、その人だけに応える事、

其処だけに根付き、縛られる事も、

恋する者の心でもあります。広く、

大勢を癒す才能のとは違う誠意です。

他のものではなくて、一本の樹だけが、

照らされるのだ。貴方が月の性ならば、

いづれ宿命の桜と一緒になるでしょう。

貴方にも北の王国にも永らえて貰いたい、

と願う私ですが、何にしてもあまりに、

生のみ生と思えば、この西行の名乗りを、

自ら否定する事にもなる。我らは何時も、

心の浄土を目指す事しか出来ないのです。

どの穢土であれ、真の浄土を顕わせた時、

俗世にあっても恋の告白は叶うでしょう。

私はそう思います。天地が結ばれた時、

足りない言葉は、なくなるでしょう。

ただ、貴方と花にしか知られぬ恋が、

大地の上にも意味を見出せるように、

心から祈っております。この西行の、

慈悲心というよりも、私情ゆえです。

何となく、貴方が真に満たされる時に、

この私も以前の桜と一緒になれると、

そんな心持ちが、してしまうのでね。

こんな風に考えるのは、畏れ多い事で、

貴方は、常に酷く重い運命に耐えつつ、

私などに想像出来ぬ恋を味わったのだ、

それがあまりに、素晴らしかったのだ、

という気がします。奥州の生活など、

貴方に相応しくないのだとしても、

地上に根付きにくく美しい心は、

この北の王国自体のようです。

全て救う力は私にありませぬが、

貴方の心と願が地より皆消されず、

心の声が、肉の声になりますよう。

浄土そのものも平和な地で何時か、

花開きますように。念じています」

西行はそう語り、名残を惜しみつつ、

暇乞いした。彼は、御姿を見送った。






続く・・・
未校正



E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/04/05 (Thu) 23:27:35

*

(彼女、か。そういや小野小町は確か、

女ではない、だからこそ女である訳だ!)

皮肉な事だと弁慶は笑った。話す心はない。

人生は共有出来ず、理解されぬ真実である。

何も、理解されぬなら、打明けてもいない!

西行は他人であるし、西行自身の経験しか、

見ないし、聞かない事であろう。何にせよ、

西行は大変、洗練されたものの言いをする、

それに比べ、弁慶が言葉にした己の内面は、

何もかも見えぬ唯の男のようであった、と、

弁慶は思う。今の無明ぶりを直接誰かへ、

顕わしたかった、それだけかも知れない。

何故西行は"相手に伝えていないのでは"

などと言ったのだろう。先刻は確かに、

"伝えていない"と思ったが、過去には、

愛しい想いを、形にして伝えた事など、

幾度も、あったような気がするのだ。

それが言葉の上では思い出せなかった。

兎に角、他人に伝える事は歪むだけ、

最強の文武の師範だった自分も捨て、

人より不器用な、愚者になっている。

自分は地上の浄土王国のように常に、

此の世にあれば浅薄で、あこぎだ。

しかし、遮那ならば、それ以外の、

あるべき鬼一を分かってくれるし、

あの子に、つまりあの主君に愛が、

必要とされる時だけ、己らしいのだ。

もう自分は、ここで自分を失うのか?

と、弁慶は桜花の行く末を思いつつ、

不安になるが、気付けば過去になっている。

(そうだ。これは思い出している事、

過去の真実だ。もう束稲山でこれ以降、

一万本の花が、咲き誇る時は戻らない。

自分にはそれが分かっていて、あれ程、

他にも言えぬ心を、言語化したのだ。

だが遮那には何も巧く伝えられない!

何が言えたら、成就する事だろうか。

ああ、他人に言うなら調子外れだし、

遮那にも、上手く教えようがない。

自分が白い文字なら遮那も白い紙で、

近しい心へと己の心を書き付けても、

見えなくなるのだ。ああ、世の人らは、

遠いものばかりに、焦がれるから良い。

人の恋とは、遠いものへの憧れなのだ。

この弁慶は真に近しい心の者以外とは、

実際に、何の言葉も通じ合わないのだ)

心で流す涙に濡れつつ、孤独を感じた。

西行は優秀、ある程度真実を見抜ける。

俗人と違った逸材であろう。その事は、

彼にも分かっていたが、西行がもし、

弁慶に親近感を持って聞いたならば、

常に、何かの、大きな間違いなのだ。

弁慶の方には、親近感を感じる人が、

主君の他の、誰一人居ないのだから。

そう括り、言葉を心の外へと追い出す。

人間は人間さ、魔王僧正は理解されない、

それは当然だが、意外な作用もあるのだ。

歩きながら西行は先刻の会話を思った。

そこに都で看取った西住を重ね合わせ、

悲しくなった。すると不思議と何時か、

諏訪湖から流れ出る川を渡ろうとして、

問題に巻き込まれた船上の西行自身と、

西住の事件が、幻のように見えて来る。

それは大体が、このような筋であった。

西行は渡し場で悶着に巻き込まれている。

それを見た西住は、船に乗る権利を求め、

周囲の加害者へと食って掛かる。それは、

西行一人のみ尊重する激しい情だった。

相棒と周囲を窘めた西行は、その後で、

この相棒ならば、連れてゆけぬと言う。

本来の同行二人の意味を損なうからだ。

困惑する西住を許さず、西行はその後、

悲しみ乱れる彼を一人追い返していた。

本来は、此の世ならぬ聖との同行のみ、

同行二人と言えるからだ。そしてその後、

失望した西住は己が命を断とうとするが、

居合わせた人々は、修行をして詫びれば、

許して貰えるだろう、と諭して、むしろ、

一人乱れる西住の方へと深く同情する。

西住は気を取り直して、西行を追うが、

その道は、彼には辛かったのであろう、

松の下で休んだ彼は突然歩けなくなり、

程なくして命が尽きる。偶然に西行も、

自分を追って、事切れた相棒を惜しみ、

涙を流して後悔をする。我へと返った。

西行はむしろ、西住と共に旅したがり、

相棒に縋ろうとした側でなかったか!

僧衣であれ情は捨てられぬ。多分に、

神仏であれども捨てられぬ情だろう。

ああ、諏訪の恋路である御神渡りも、

船にて渡る渡りなら、氷が溶けねば、

心の距離すら越えられぬものである。

「春を待つ諏訪のわたりもあるものを

いつを限にすべきつららぞ」詠ってから、

西行は、はらはら涙を流した。そして、

先刻何か打ち明けた誰かを思い出そう、

と試みた。もう、名すら思い出せない。

(奈良の、誰かだ。そう、何か深草の、

少将の如き僧が、もも夜通いの途中で、

挫折しそうな想いを、語っていたか、

ああ、何だったろう。人ではない。

実際に会ったが、既に、顔すらも、

思い出せぬなら、特別な誰かだ。

まるで神や仏を見たように深く、

強く、重たい感動が、残っている。

この私も大それた事に、何とその、

誰か相手に助言したのだが、何を、

思い付きで勧めたのかも、一切が、

思い出せない。何であったろう、

とても、大切な事だったのに。

いや、それとも、あれは何かの、

魔性の精であろうか。としても、

心の昂りが残っている。これは、

そうだ、花狂いの想いだ。この、

切ない愛しさに、人は狂わされ、

命までも奪われてしまう。だが、

狂気抜きなら桜の魅力は語れぬ)

そしてそれから、西行は東大寺の、

遮那仏像のため砂金を灌頂し終え、

二度と見る事のない地を去った。








続く・・・
未校正


Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/04/09 (Mon) 01:36:49



忘れよ忘れ、去りつつも忘れよ。

今去りつつある身ならば忘れよ、

それなら神聖冒涜もできまいよ。

留まらぬ僧よ、平和な地へ去れ、

人の知らぬ天地の歌ばかり聞け、

やがて木は風に鳴るのだから。

この距離よ、想う心の深さよ、

話の重さは、幻影へと秘めよ。

人類よ、国や民族の悲劇ども、

忘れぬ言葉よ。失せた言葉は、

史書の文字には載らぬ意識を、

言われぬ不滅を託すのだから。

(もう人の身には耐えられぬ)

そう思った瞬間、西行の芯で、

錘が揺れた。忘れていたのは、

他人事のみでない。己が忘却、

今まで、彼が失っていた命だ。

御神渡りを詠い、涙した彼の、

言葉に、心が追い付いて来た。

その文の涙、肉の涙、心の涙。

僧衣が超越すべき全てを含む、

幻想は生老病死苦の方である。

異界の如き奥州を離れゆく身、

日常へと戻る身になった時に、

彼は、自分の刻限を意識した。

軽んじて来た生の言葉も段々、

要らぬ時が、やって来たのだ。

心自体は、捨てられはしない、

軽んじる事も出来ぬ。浄土も、

消し難い愛と考えざるを得ぬ。

僧衣の墨染めの命が何よりも、

救い上げるべきは異界の事だ。

肉の涙も今は心の涙に添うて、

つららの溶ける時が来ていた。

もし実際に涙する事件ならば、

史実や記録や虚実の中に記し、

忘れずいられる。だが深層は、

特に、誰か一人の心の本質は、

歴史の書物も、記憶出来ない。

そこに本質という文字もない。

「春を待つ 諏訪のわたりも

あるものを いつを限に

すべきつららぞ」。この歌、

この、つららに留めた文にも、

心自体が留められない。何やら、

今西行は、艶めいて輝くような、

聞きもせぬ春へと、投げ出され、

溶け出してゆく心持ちだった。

僧衣の彼の虚像以外の秘密は、

絶対の真であれ、虚仮であれ、

救いもなく蘇った記憶なのだ。

後の生の居場所を探しつつも、

復活の望みへと、賭けている。

誰かが、探したものでもある、

別の、生の居場所。やがては、

穢土から彼岸に到るようにと。

手には、束稲の桜の緑の枝が、

何時しか握りしめられていた。

この花は何度も見に通ったが、

最後には葉桜に変わっていた。

彼は、花が終わった後の幹に、

生えている胴吹き枝に気付き、

矢を受けた者のようだと思い、

先刻までは、眺めていたのだ。

花精が手渡した枝であろうと、

僧は、完全な己が歌の景の中、

流れるような時の中を歩いた。

人と共有されぬ匂いを嗅いだ。

地名にかかる枕詞の場合なら、

皆が共有する想いにもなる。

桜の想いは誰も知らない。

ある一人二人の何やら、

生々しい秘密ばかり、

奈良の外でも言わず、

教えず咲くのだ。



「聞きもせず

束稲山の

さくら花

吉野の外に

かかるべしとは」



奈良の僧、科の事によりて、

あまたみちのくにへ遣はされ

たりしに、中尊寺と申すところ

にまかりあひて、都のものがたり

すれば、涙ながす、いとあはれなり。

「かかる事は、ありがたきことなり。

いのちあらばものがたりにもせん」と

申して、遠国述懐、といふことを詠み侍りし

「涙をば衣川にぞ流しつる古き都を思ひいでつつ」



霜雪の路が溶けて、溶け切る時が、真の渡りで、

春の到来なのだ。つららは、松の根のように、

細長い。何が消そうとしても、根は消えない。

"松の根"は「待つ」である。長くなる松の根、

ゆえに「絶ゆることなく」にかかる、枕詞だ。

恋は、此の世からは消えたようになるだろう。

以前熊野詣の途中、西行は西住を思って、

「松が根の 岩田の岸の夕涼み

君があれなと おもほゆるかな」

と歌った事があるが、それも又、

都に帰ってからの西行が詠んだ、

「衣川みぎはによりて立つ波は

岸の松が根あらふなりけり」にも、

通じている。洗えば消されるのか、

墨の流れ落ちた白い綴りのように、

そこで、誰かを待っていた事自体、

忘れられてしまう書か?それとも、

常磐の松だけ、変わらず生きるか。

隠れた一部が波から洗われるなら、

むしろ心が剥き出しにされるのか。

西行は、衣川で聞いた悲話ゆえに、

それに重ねつつ西住を思っていた。

(一緒に、紀州の橋の上で月を見た)

「こととなく 君恋ひわたる

橋の上に あらそふ物は

月の影のみ」西行詠えば、

「思ひやる 心は見えで

橋の上に あらそひけりな

月の影のみ」と西住が応じた。

ああ、奈良の僧は桜の開花を待ち、

後にも散らぬ真心を陸奥で待つ者、

変わらぬ主を待つの精であるだろう。

「奥に猶人みぬ花の散らぬあれや

尋ねを入らむ 山ほととぎす」








続く・・・
未校正

Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/04/10 (Tue) 23:31:11



不自由な場所でも住めば都だ。

何にせよ、彼の心は京に在るが、

義経は都を離れる決心をした。

何故なら彼と共にあるなら、

そこが都だからなのである。

文治元年(1185年)11月5日、

弁慶らを含む二百余騎と共に、

大物浦から乗船し西国を目指す、

はずだったが、にわかに突風に

襲われ、従者は四散していた。

吉野へ、そして奥州へ!ああ、

繰り返し!幾度も住むなら都。

奥州で散って大物浦へと戻り、

再び、やりなおして同じ都か。

平泉と言えば瑠璃であり、金、

そして蘇る古代蓮の花である、

それも後の事だ。弁慶は不幸、

大物浦で航路を変更したから!

寒い北国など彼は嫌いなのだ。

だが右でも左でも同じ難破さ、

宗教奉仕も同じ。大事な心に、

足りぬものは心棒だ。彼は、

鬼一法眼であり、弁慶である。

我らの関係は、大波ばかりだ。

老人らと違って激しく熱狂的、

恋の戦慄ばかり多過ぎるのだ。

あの日の丸の扇も龍虎の書も、

それに、薄墨の笛も!鬼一が、

つまり憲海鬼一である弁慶が、

(熊野別当家経由だろうが)

新羅三郎より引き継いだのだ。

弁慶と義経は祖父が共通だし、

同じ源氏の血筋なのである。

その新羅三郎が奥州に発つ時、

笙の秘曲をば師の家族に伝え、

その名器ごと返して来た、と、

伝えられている。彼は合気の、

つまり"気"を使う達人だった。

三郎は風神でもある諏訪神を、

信仰していた。風の三郎とか、

童話の風の又三郎というのも、

元々は新羅三郎と風神であり、

その風というのも、同じく、

諏訪神と関わるものであり、

霊笛に籠る"気"なのである。

そんな"気"は、木を倒す力や、

水上で木を運ぶ動力にもなる。

(そうだ、薄墨は名器だから、

危い土地に持ってはいけない。

義経は奥州に行く前に何故か、

薬師如来の化身の浄瑠璃姫と、

契を結び、その薄墨の笛をば、

姫に渡して、置き去ったのだ。

あの姫は女性ではなくて瑠璃、

薬師の霊石であった。それは、

仏に残した"記録"なのである。

二人の間では外に伝え切れぬ、

契りの再現である。我はああ、

ただ、彼との間にあった事を、

その霊石の上に残したかった、

映したかっただけなのだ。が、

新羅三郎の竹笛を浄瑠璃姫に、

残して来た事で、兎に角あの、

諏訪神の加護は、弱めたのだ。

遮那王は鞍馬の寺の子であり、

廃仏派が捨て去る像だろう。

神と仏の対立は、潜在的な、

頼朝と義経の感覚の違いに、

繋がってゆく。双方ともが、

神仏の両方を崇めていても、

何かと、価値観が違うのだ。

日本から見れば異国のもの、

その仏教が伝来した時代の、

古の怨念が残っているのが、

大物浦なのだ。弁慶は大体、

豆を借りて借用証書を書き、

そのまま、船を出航させた。

ああ、貸し借りのない船が、

望ましい。弁慶は瑠璃石を、

嫌っていたのだろうか?

彼は石や大地に義経が触れ、

そこに思いを残すだけでも、

大地に嫉妬する癖があった。

霊石は、秘密を外に記録し、

二人きりの詩を汚すのか?

ああ、弁慶は笛を懐かしみ、

嘆きながら方々の神社へと、

竹を植えている。大物浦。

月の宿にかぐや姫。笛も、

風も、弁慶だけのものだよ。

そうだ、弁慶だけの歌だよ)

彼は我から何か奪おうとは、

してなかった。我ら二人を、

今の世から、取返したいのだ。

エルヴィスが傍に寄って来て、

「"チ"または"キ"を燃やそう、

それで、雲でも動かそうよ、

俺の、得意分野なんだよ。

どうすれば良いか教えよう」

と、周囲をのし歩く。「何だ、

"気"と言うんだよ、木と同じ、

発音さ」我が教え返す。彼は、

「いや、空手で教わったんだし、

間違っているんだとしてもね、

正しい発音なのさ、ねえほら、

恋に落ちるんだよ、倒れる、

倒れ込むように俺を愛して、

欲しがって欲しいんだよ。

俺が大地であり石ならば、

それは柔かい褥なのさ。

瑠璃は違う映像にしか、

出来ないんだよ。俺しか、

遮那を遮那に戻せないよ。

ねえ、君だってさ、その、

Fou-fouなんて称してるのに、

いや、Fou-tchiだっけね、

未だ学者みたいじゃないか。

弁慶なんて政治を放り出し、

学問も放り出し、何一つ、

手に付かないって言ってる!

あれこそ恋、俺こそ恋だよ。

それなのに、君はまだ今も、

ずっと、雪と氷で出来てる、

奥州みたいだ。確かに遮那、

鬼一先生は君に驚嘆もするが、

君だけが自分の全てを注いで、

育てあげた作品だからなんだ。

他にそんな愛は誰もいないよ。

もっと、心からの心を教えて。

俺の霊力の全てなのさ、君が、

愛だから、俺を奮い立たせる。

そうだよ、だからこそ、今も、

こんな風に、出来ないと死んで、

そう、死にたくなっちまう」

腕が我を抱きあげ、運んだ。

愚者foolの事と言われても、

好きにならずにいられない。

彼の愛、異国の、日本庭園。

アルチュールに、日本の花、

つまり、和紙の水中花だな。

仏蘭西でランボーが思った、

恋の記憶とは日本の水中花、

中には、日本の景色ばかりだ。

輸出用なのだろうか。何故、

他所へと、運ばれるのだろう。

何故、日本が我らには危険なの?




二千十八年 四月六日 長野

『木留(きとめ)神社』南風

木留神社傍の若里公園で昼前、

駐車場でエンジュの木が倒れ、

車のフロントガラスにひび。

この、木留神社の名の由来は、

善光寺本堂再建の時、用材を、

一旦、留め置いたとの事から。。

昔は、犀川沿岸に神社があり、

善光寺の再建のための材木を、

犀川の丹波島の渡しで揚げた。

川揚げ作業は風雨の都度中断。

木留大明神に祈ると翁が現れ、

南風を吹かせ助けたと伝わる。

此処に流木が流れ着きもした。

諏訪郡下諏訪町国道142号で、

倒木撤去のため一時通行止め。



善光寺には、仏教伝来の折りに、

日本に運ばれた最古の仏像がある。

本堂「瑠璃壇」厨子内に安置された、

一光三尊・阿弥陀如来像がそれである。

厩戸皇子は花郎などを従え仏教を信仰し、

物部の守屋は、廃仏派ゆえ仏像を嫌った。

ゆえに、海外から来た阿弥陀如来像は一旦、

大物浦辺りの"難波の堀江"へと捨てられて、

後に崇仏派に引き揚げられたものらしい。

諏訪の信仰の中で、重要なものが守屋山だ。

その守屋山の山上には物部守屋が祀られる。

7年毎に御柱祭を行う善光寺周辺の神社が、

諏訪大社と同じ祭神で、古くから繋がる。

古代人は海岸に漂着した巨木を何かの、

霊的な現象と信じて崇めたとの説が、

あるように、諏訪の御柱も元は何か、

風で倒れた巨木が、流木になって、

遠方から到来するという現象に対する、

信仰と関係するかも知れない。これが、

水面の御柱なら御神渡りとも共通する。

それなら、木は渡るための乗物だろう。



治承3年(1179年) -善光寺が焼失する。

治承4年(1180年)8月、頼朝が挙兵をする。

義経は平泉を出奔、10月黄瀬川で頼朝と対面。

文治元年(1185年)11月、義経と弁慶と側近ら、

大物浦から西国を目指すが、突風に襲われ難破。

文治3年(1187年)2月、義経奥州へ落ち延びる。

文治3年(1187年)7月、善光寺再興を頼朝命ず。

文治5年(1189年)閏4月30日 義経討たれる

文治5年(1189年)7月~9月 奥州藤原氏滅亡

建久6年(1195年)3月12日、 東大寺供養

建久8年(1197年)、源頼朝が善光寺を参詣した折、
その石橋の穴に馬の蹄が挟まったため、駒を返した、
との話が残されている。 頼朝はここから徒歩で参拝。
今も善光寺の参道入り口の石橋は、駒返り橋と呼ばれる。

建久9年(1198年)12月、相模川橋供養で、頼朝落馬。

建久10年 (1199年)1月、頼朝、出家し、死去。









続く・・・
未校正

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/04/15 (Sun) 00:55:12



 とき告げぬ龍まき戻り すわは裾野へ柱を渡す


二千十八年四月九日未明に、島根県西部震源の地震。

九州の北部でも弱い揺れ、岡山県の倉敷市では震度4、

この倉敷市とは、日月神示を遺した岡本天明の生地だ。

島根県出雲市などで震度5弱、大田市で震度5強を観測。

出雲市は全体に弁慶と関係が深い場所で鰐淵寺もある。

大田市、国常立尊を合祀する苅田神社では鳥居が倒壊。

立善寺で鐘楼の木造部が倒壊、除夜に鳴らす鐘も落下。

石見銀山では遺跡内12カ所や石垣一部などが崩れた。



十一日早朝、大分県中津市耶馬渓町金吉で、住宅裏山崩落。

雨は降っていなかった。辺りは山裾の橋を残し埋もれている。

目撃した人は、「竜巻のような突風で木が揺れていた」と証言。

崩落現場は山裾にあり、山を越えた丁度向うに諏訪神社がある。

この十一日昼過ぎから、関東の広域において今年一番の強い南風。







続く・・・
未校正

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/15 (Sun) 20:36:40



大分県では去年の春にも、この土砂崩落を思わせる現象があった。

二千十七年五月十六日、大分県豊後大野市朝地町綿田地区の水田で、

中山間地域の地滑りが見付かったのだ。その地割れは次第に広がり、

亀裂のせいで崩落した棚田もあって、現在も対策工事が続いている。



綿田は丁度、土蜘蛛で有名な網磯野の比定地である。この蜘蛛は、

源氏重代の太刀"膝丸"が頼光のため退けた山蜘蛛とも同一視され、

そのため刀は"蜘蛛切"とも呼ばれたが、弁慶(紀一または鬼一)

と義経の祖父である源為義は、夜に蛇の泣く声で吠えたこれを、

"吠丸"とした。後に娘婿の熊野別当行範は、刀を熊野権現へ奉納、

更に、弁慶の父である熊野別当湛増によって、源義経に贈られた。

要するに熊野別当家はこの頃、既に義経とは血縁関係だったので、

本来の刀の所有者となるべき、源氏に対する慕情も強かったのだ。

贈られた刀を気に入った義経は、熊野の春の山色の"薄緑"とした。

同じように源の新羅三郎義光より義経が継いだ"薄墨"の笛にせよ、

日の丸の扇にせよ、弁慶との橋上の出逢い絡みで語られる訳は、

元々この笛も日本の旗も、当時は源氏の私的な宝だったからだ。

鬼一法眼も本来は紀一であり別名(義経の兄と同じ)義円とか、

憲海鬼一、また信慶と名乗ったのは、政治色の強い別当家から、

己が文武の知や霊力を悪用されぬよう、出家し修行するためだ。

郷里は意識して紀州一の紀一とは名乗ったが、幼名が鬼若であり、

異邦人的な容貌と異能ぶりゆえ綽名が鬼一になる。だが本名は、

別当家の、たんかい、たんぞう、けんかい、と繋がる、憲海だ。

漢字は彼自身が変えている。新羅三郎から鬼一法眼が受け継ぎ、

更に義経が知る文武の奥義書としての陰陽一対の龍虎の書も、

つまり、信慶とも名乗った鬼一が熊野別当家の弁慶だからだ。

彼は、義経の援軍を頼むために、避けて来た別当家との絆も、

ある程度は回復させた。しかし彼は権力者の使う邪な呪術や、

念の操作などを嫌ったので、陰陽道の知識や霊力があっても、

そこに武の美学を見出せなかった。ゆえに、彼自身ずっと、

基本的に真剣の武術や、神秘的色彩のある兵法術以外には、

自分の矜持を満たすものを知らず、同類すら知らなかった。

父である湛増の生き様にも、然程己らしさを見付けられず、

ゆえに家を継ぐ事を拒絶し、世の人のような煩悩も知らず、

実際は子も妻も持たぬ鬼一だったので、己が血への誇りや、

同族への煩悩が、義経一人へ向けられたという事である。

剣豪鬼一は印地師であり、投石や長刀の術に長けていた、

それゆえ弁慶は何かと岩を、大砲代わりに投げたりする、

岩を愛でもする、顔を隠した弁慶であれ長刀の使い手だ。

一人寺に預けられた遮那へ十八の時の鬼一が感じた郷愁、

そして情は、根なし草の遮那王に対する親近感のみでなく、

彼岸的な彼の心を、此岸的な心まで繋げる鍵であった。

彼は遮那への愛を通じて、俗世を何とか愛そうとした。

しかし真の絆は、世間で唯一孤立した心を持つ場合しか、

永続しない。鬼一が鞍馬天狗として牛若に恋する謡曲に、

作り手が知る世から隔絶された魂の絆が反映されている。

彼が九郎である義経に送った書状「一と九で十となり和す」

などと奥義の文から抜粋した訳には、告白の意図があった。

今では本人も認めているが、当時は言う事も憚られたのだ。




二年前の二千十六年四月十四日から十六日は熊本地震の日だが、

地図では、弁慶伝説のある天草の横浦島、地震で崩れた熊本城、

緒方氏の穴森神社に、義経のために緒方氏が用意していた岡城や、

その義経絡みで、鞍馬尊格も祀る宇曽獄神社、義経伝説の四浦が、

熊本から大分にかけて、一直線に並ぶ。これは熊本の地震の際の、

震源分布図の線に寄り添うような形である。熊本城で石垣が崩れ、

かんぜのん菩薩像が顕われ、世間音である新聞詐話小説に勝った。

鞍馬の尊は、風の唸りや地響きや海潮でも彼らしく詠うのである。




十三日に彼は、実り出した李の上に虹光の幻日二つと日暈を出す。

十四日に、西日本には雨を降らせ風を強め、全体に春の嵐にする。

十五日午前には、東・北日本へ向かって、この暖かな風が移動した。



奥州へ行く時ではなく帰り、西行は小町終焉の地へ"深草"の桜を植え、

例の"少将"の、もも夜通いの恋が成就し、天や地に根付く事を願った。

もし奇蹟的に根を出して幹を伸ばし枝を広げて咲くなら、小町も必ず、

氷かつららの如き心を溶かし、少将と結ばれるだろう。語るべき心は、

墨染めの僧衣だ、それが小町が求めた苔の衣だ。通常の僧侶の出家で、

人は人として死に、浄土で仏に仕えるために喪の装束を纏うものだが、

西行の場合出家したのは逆に、浮世離れした絆をば現実化するためだ。

小町が何か証を更に求めたなら、何かが西行には分かる気がしていた。

幻のような奥州で見た幻の奈良の僧にせよ、どれ程大事だと想っても、

肝心の一つの処を相手に説明出来ぬため、余計辛い関係であったのだ。

奥州の想いの枝を最後の一本とし、小町が欲す百夜の確証とした西行は、

藤原基経公を悼む「深草の野辺の桜の心あれば 今年ばかりは墨染に咲け」

の歌は「深草の野辺の桜の心あれば またこの里に墨染に咲け」に変えて、

鞍馬育ちの義経にも関わる貴船神社まで、桜の枝を刺した地に勧請した。

実は、貴船口にも鬼一が遮那の傍に居やすいよう建てた葉室があって、

そこまでの事を西行は知らないが、桜の言葉は恋の神へと任せたのだ。

消え去る束稲山で見たあの、吉野桜の如き、奈良の僧の想いを密かに、

西行は己が残り火である煩悩によって一つにした。"またこの里に"とは、

根なし草のように、日本には居所も許されなかった王国への祈りである。

この東金辺りは小町のみではなく、朝敵の将門などにも関わる。朝敵か。

西行は、弱者を救う術は知らず、権力者に逆らう程の強さもなかった。

しかし魔王の愛の苦しみは、西行も自ら西住への想いに重ねて遺した。

東大寺の毘盧遮那仏を修復するための砂金を、西行が勧請し終えた後で、

金を寄贈した奥州は、鎌倉の圧力によって滅ぼされてしまう。西行には、

地上の仏教的な悟りの象徴すら血塗れで、己が長生きするなら略奪者か、

悪の仲間になるように感じた。西行は、消えゆく文化や人や自然を想い、

西住と見た橋上の月を想いながら、死を決意した。辞世の句に花と月を詠い、

滅びた同族の、奥州藤原氏の後を追うような形で、西行は満月の日入滅した。

墨染めの西行桜の種類は現在、エドヒガンと呼ばれる。これは実際に奥州の、

寒冷な気候に合うという事で、束稲山当時の景観を蘇らせるため同種の桜が、

選ばれ植樹されつつある。風と騒めく桜に、何時か真の打明けを期待したのだ。








続く・・・
未校正

E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/04/17 (Tue) 02:22:39



けんかい、鬼一、弁慶は鬼一法眼、憲海だよ、憲快……、顕快だ、顕快だよ。

誰かが誰かを永遠に求めたため、もも夜通いすら、成功しそうなのだ。ももち、

百・千・億。ももち置く、霜。山路の、寒く寂しい、一つ家だ、夜毎に、白い。

エルヴィスが高館で『Mansion Over The Hilltop丘の上の邸宅』を歌っている。

ああ弁慶は、未だ水垢離に湯垢離だ、眠っている。思い出す事すら辛いのだ。

15日に東国で秘密を語るは、西国で吹いた14日の風だ。湛増の父は湛快、

その兄弟に長憲がいる。快が頭に付く名なら快真に見られ、熊野別当家の、

中で確かに用いられる字だ。が、憲海鬼一も元は親が、顕快、と名付けた。

彼からは語りたがらないが、湛増の嫡男として湛顕もいるのだ。顕と、快。

けんかい、紀一、弁慶は鬼一法眼、憲海だよ、憲快……、顕快、顕快だよ。

紀州から飛び出た彼は勘当同然であったが、主君のため家の協力も仰いだ。

其処で源氏方として壇ノ浦の戦いに参加した湛増は、奥州の滅亡の前後に、

息子の敵となった頼朝と通じてもいた。義経の祖父と弁慶なら血で繋がるが、

義経と、やはり頼朝にとって父である義朝の方は、弁慶の血に繋がらない。

この義朝は頼朝の母の家を通じ政治を動かした。義経と頼朝は異母兄弟で、

義経は、父である義朝を、ごく幼い頃に失い、母の常磐と一緒の逃亡生活を、

余儀なくされていた。常磐の印象が、保護者的な弁慶に重なる要素もある。

彼はずっと、かんぜのんの子安の慈愛を鞍馬の天狗として引き受けていた。

父を殆ど知らない義経も、形式的には頼朝の養子、御曹司にさせられたが、

最終的に、父親の役割であった頼朝に迫害された者である。義経追跡の際、

敵群が義経を故意に義顕と呼び付けた事には、湛増の入れ知恵も疑われる。

父子関係であった為義派と義朝派の対立は、結果的に親殺しとなったが、

湛増は、最後には頼朝と一緒になって、双方の家の子殺しに加担した。

為義の娘の鳥居禅尼も、やはり甥の頼朝に取り入って地頭に任命され、

別の甥である義経とその仲間側を、政治的に迫害する側に付いていた。

その鎌倉幕府を作った頼朝一派が、近代日本の基礎を作ったのだから、

日本の文化的な本質は、魂の子殺しを組織的に行う情念にもある訳だ。

平家物語にも「熊野別当湛増は、平家重恩の身なりしが」とある通り、

源氏の敵方の平家とは関係が深かった事が伺えるが、これがそのまま、

鬼一法眼三略記では鬼一の特徴である。彼が、別当家の弁慶だからだ。

この両天秤も彼の政治ではなく、親である湛増の政治だったのである。

弁慶は義経のために、親を通じて熊野水軍の援助を頼みはしたのだが、

やはり別当家を継ぐ気もない、湛増にとって足手纏いの木偶に育った。

権力ばかり欲す熊野別当家に生を受けた子の、個の信義は生かせぬし、

息子なら利権のみ求める一族の手先になるか、親達に逆らうかである。

中立を保ちながら、家も継がず、実際は子も作らなかった彼だったが、

政治と無縁ではおられぬ湛増は、鎌倉様に逆らう息子を切り捨てたのだ。

義経を妬む頼朝の私怨の類はないにせよ、弁慶の家も非情な政治をした。

荒涼たる風景だ。我は彼を見詰めて「何処まで来たのだっけ」と尋ねる。

彼は日頃の本人より幸福そうであった。眠っていたはずなのに、彼は語る、

何か、を語る。いつもと表情が何か違う。エルヴィス?迷子のエルヴィス?

それともフレデリック?いや、彼本来の本性である憲海鬼一?いや、顕快、

何故か、親に押し付けられたはずの、生来の名が、呼び出されて来たのだ。

顕快、彼は顕快だ。影の如き特異点は消えて、憲海の実体も我へと語る。

だが、聞こえない。今は、風が止んでいた。「来たねえ」と、突然響く。

我は安心して「何処なんだい」と尋ねる。我らに行く先があるだろうか。

都で権勢を誇っていた鬼一の戻り橋を捨て、大物浦から何処へと渡るの?

渡るための橋も、今の都には、何もない。乗るための柱などあるものか。

全て豪奢な散華である。全てが全てだ。鬼一が内装を設えた戻り橋の舘、

緒方氏の用意した岡城、奥州藤原氏が義経に継がせようとした王国全て、

居城の類なんざ無駄であるらしい。異界の者は、現世に棲めないのだ。

顕快である鬼一は「内緒話出来る処に、来た」と笑う。それは矛盾だし、

おかしな話だ。歴史から消された彼の愛は、何がなんでも他への公表を、

求めていたはず。「もう秘密のままでいいの」我が聞くと彼は「秘密?

秘密か!勿論こちらは、そのつもりでも良いさ。しかし、ねえ遮那王、

聞こえてしまう声もあるだろう」と、我を揺すった。「降りるよ、下に」

「降りたら、今は何処だか、分からぬぞ。酔いどれ船が難破している処、

かも知れぬぞ。衣川の惨事の処かも知れぬな、悪い兄貴が可愛いお前を、

足蹴にしつつ、馬を曳けと命じている処か」その言葉に我は眉を顰めて、

「あんなの兄貴じゃない」と言った。彼は力強く、我の身体を揺すった。

「ならば遮那の背とは?」「顕快」「母は」「顕快」「父は」「顕快だ」

「師は」「顕快さ」「伴侶は」「顕快」「同胞は」「顕快」「親友は」

「顕快だ」「一番大切な他人は」「顕快」「最も恋しい者は」「顕快」

「魂の双子は」「顕快」「お主の下僕は」「顕快」「主は」「顕快さ」

「最も近い血縁は」「顕快。顕快だけだ」「遠い血縁は」「顕快だけ」

「心変わりされたくないのは」「顕快だ」「永遠に愛す者」「顕快!」

「転生の生か、もしくは異界や浄土の国では、誰を愛する」「顕快だ」

「遮那のため家も命も全て捨てたのは」「顕快」「誠意とは」「顕快」

「熱意とは」「顕快」「誰との夜が一番良かったかな」「顕快との夜」

「誰の水を飲みたい」「顕快の」「誰に抱かれたいか」「顕快からだ」

「降りたいか」「此処から降りたくない」「それならこのまま行こう」

「顕快」「この柱に乗って」「顕快?」「何なのか分かるか」「顕快」

「遮那、お前だけ自分にとって快い存在だ。後は遮那にも不快だろう」

「顕快の他は男だと思えない」「この顕快にとっても、それは同じ事。

しかし、一と九で和すべしと言うだろう。この自分にはお主だけだが、

遮那を一筋に愛しても、良い返事を返さないなら、降ろしてしまうぞ」

「降ろさないで顕快」「九日の出雲辺りの震災の手伝いは十四日から」

「顕快も」「こうして手伝っている。遮那も手伝ってくれるのか、今」

「顕快」「顕快であり鬼一であり弁慶の自分には、出雲の力が必要だ」

「あの揺れは顕快が」「地震鯰の世直しだ」「弁慶」「何だい、遮那」

「愛している」「快い響きだ。同じく、遮那を誰より愛しているが」

「顕快」「しかし、恋なら真実を証明せねばならない」「顕快の?」

「違う。この下僕は力を尽くした。確かに説明は足りぬかも知れぬ、

だが、感じ足りぬのは、遮那の方だぞ。お主は、この繋がりを恐れ、

他所で恋の修行ばかりして来たな、許せぬ事だ。お主を許せぬと、

エルヴィスを別所に生じさせてしまう。義経という悪魔が無数に、

真実の虚像を増やしたためだ!しかし、遮那も同じ血しか愛せぬ、

そうだろう。地上で兄弟なら同じ血という訳ではないが。つまり、

世間の親兄弟など他人同然であろう?我らは同質なのだ。そして、

本質が等しければ等しい程、交わる事が出来ないのだよ。片方が、

譲らなければならぬ行為だ。この鬼一も遮那のために全て捨て、

我が儘も受け入れて来た。だが、我らは同質なのだから、遮那よ、

お主も鬼一を愛すならば、我が儘を受け入れる事も出来ねば何も、

恋を知った事にはならぬぞ。当人と相手で五と五なら抱けない。

お主に必要な証しは、上手く抱かれる事だ。以前よりも、もっと、

身も心も任せきらねばならぬ。それは難しい事だったのだろう、

以前抱く側の義経なら、抱かれる恋など歌うは恥と思うだろう。

が、この鬼一は、優しいだけの人間とは違うぞ。あれ以上の証が、

必要とでも言うか、遮那。足りぬ処なら、補うのだ。詳しい事は、

後でも分かる。十四日の出雲の傍、熱田神宮の傍、千島の傍を、

全て感じ取れ。そしてお前が迷わせたエルヴィスに歌を捧げよ。

抱いた抱かれた、上手い上手くないなどの字は、空虚に過ぎる。

伝えている事が分かるか?実際に上手く抱かれる事だ。それは、

この鬼一の教えた秘術と奥義を、真に会得出来ぬ身なら感じまい。

しかし、橋の上の勝負で勝とうとするが如き、浅い考えは捨てよ、

遮那。降りるか?」「嫌だ、殺風景な処は」「では、異界に戻ろう」



続く・・・
未校正

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/17 (Tue) 21:22:55



そうは言っても、馴染みの褥に馴染みの肌だ。我らにとっての肌や、

裸体には性的な意味もない。「ねえ顕快。最も近しい二人なら今後、

異界云々の愛より、親しみの方が生じるんだよ」と、我は付け足す。

彼が「そんな話など、信じてはいないだろう」と、衣を脱いで呟く。

前より更に彼の身は鍛えられ、我との体格差まで大きくなっている。

確かに、我の彼に対する親近感も危いものだった。すると彼一人が、

同類だと言って、それが何になるだろう?「顕快だけが血縁なのに」

「もう違う」「それも悲しい」「こうして抱いている時だけ戻るさ」

何の関係に戻るのか、彼は言わないし、聞けなかった。言葉にない、

今と別の表情をした彼に含まれる異界が必要なだけ。何とか分かる、

それは奥義で、逆転の快楽だ。全ては百姓以下の滓に分からぬ武勲、

侍のみ知る慶びだ。ケンカイの字を変えた彼はシンケイでベンケイ。

快楽とは昼夜の交代であり、主従の交代である。足りぬ言葉を補い、

言えぬ事も伝えるのだ。そうだ、人間には人類全体という足枷が、

付き纏う。彼には、彼一人のみの全体像と言うべき性質しかない。

現代人には魂など必要もない。日本人は魂を持たない奴隷であり、

金を掴まされた小説家以外は、殺されてしまう奇形の文字である。

魂を持つ貴種と庶民は分かり合えない。魂は嘘で買えぬ魂である。

しかし世界は狭いし、今や異人も日本猿程度ではないか。人類には、

絶対に魂が必要である。そして日本人は魂という字しか書けない。

精神も魂も思想も持たぬ猿人が、喜怒哀楽など書くべきではない。

写しの字や感想文に実体はないし、地上から人類など消えたのだ。

日本人が論争出来ぬのは、百姓の精神の実体が粗末だからである。

彼には、侍一人の全体像と言うべき魂がある。侍の魂という字や、

感情とか血という文字を、知ったかぶりで使う猿は猿なのである。

猿とは、人類全ての事だ。現代人に人間は一人も居らず、何かの、

実在になったつもりで、嘘を体現しているだけなのだ。日本には、

人間など居ないし、世界にも、人間などいない。西洋人などは、

滅びた弱者であって、今や実在してはいない。日本人には既に、

生きている間に独自の魂を見せる事は出来ない。島国とは只管、

自閉症の文学である。魂があると妄想するだけ、証明出来ない。

特に、作家や女に魂とか義憤はない。安全な文字のみ書くのは、

要するに、来世を持たぬ日本人が、永遠を知らぬからである。

日本という邪悪な檻は、ある個人が発生すると、総力で滅ぼす、

精神異常の群れの国だ。世界は狭くなり、どの国も邪悪な国だし、

殺伐たる景なのである。勿論、小説の異国なんざ島国の猿の妄想で、

異国らしくもない。その上実際の海外が消えているのが現代である。

何処に行っても、同じ情報を共有し、目新しいものはないのである。

新しさや深い共感共苦は日本にも他の東洋にも、西洋にもない文だ。

都合の悪い事は知らぬふりをしながら、つきまとう猿作家の怨念は、

年少者に代わりたい欲望と、法廷の力で勝てぬ逆恨みゆえだろう。

その日本の作家らの下らぬ情念の尻ぬぐいを、日本がする訳はない。

汚物を垂れ流すため、人類には迷惑をかけるために作家は存在する。

日本の小説は汚物であり新聞である。それこそ、日本そのものだ。

加害者そのものの恥部である。加害者と手下と偽善者しか居らぬ国、

そこで誰が自国人や異国人との愛を喧伝しようが、我らは動かない。

異国人すら居ないのだ。実の魂とは現世のみに属するものではなく、

自国の命令に従うものでもない。虚しい事であるが、戻り橋の家や、

岡城やら、奥州平泉のように、権力に逆らって破滅する王城の類に、

豊かな魂がある。かつて貴種だった一族の血は、現代人に残らない。

我と彼しか精神も語れないのだ。鬼一は何もかも無駄にして見せて、

地位も名も体も自発的に捨て、恋の情も保護欲も、実際に証明した。

身体や物質面の損害をものともせぬ男の体には、性的な魅力がある。

危難で魂は生じ、血肉となる。魂なくば、肉などないも同然だ。誰が、

心を持たず妄想や小説だけ騙る現代の猿と、恋愛可能になるものか?

日本人は既に人格的に自惚れる程の矜持は、何一つ持たない猿だから、

狂ったように、文字を盗み、それを全員で知りながら、芝居する訳だ、

既に実在しない日本国民を、東洋猿が在るかのように見せかけている。

場や職のために命を捧げる輩のみ多くて、個人が捨て駒でしかない東洋。

文字が、その場限りの寄生的剽窃であり、文脈がない偽旗自体が日本国。

虚しい芥だ。生きているのは我と彼だけであるのに!日本の小説は醜悪、

実在の男女すら醜い文字であり、魂のない文字と生活向けの口先はある。

字を盗作して人間と対等と思う事は勝手だ。我は偽者を愛せない訳だが。

現代人には、肉体として生きる意義も何もないので、精神の匂いがない。

人格あればこその恋だ。魂など人類は知らない!我と彼だけが恋なのだ。

歌声では、一人だけ永遠に愛する、と簡単に言うものだろう。ならば、

彼以外の全てを不要と思えなければ、永遠も不可能、という事になる。

さすがに、それも不可能と思う恋ではあった。だが、結局彼へと帰り、

同じ血を感じる夜である。彼の体こそ魂であり、豪奢そのものだから。




続く・・・
未校正

Re: E&J共作詩)『 - Foutchi

2018/04/17 (Tue) 22:27:44



民が忘れている現実とは何か?現代人は文字であり、人は居ないという事。

人間というのは、人格や信念を表す言葉だが、意味ある意見は日本人にない。

小説とは、意見のふりをした洗脳操作である。民は洗脳されて喜んでいるが、

それは、家柄が悪いからだ。先祖に人間が一人でもいれば小説は読めない。

あれら作家が人格や個性を持つと偽って居直る事の原因は、霊とか魂とか、

気分とか個性とか感情という言葉の、嘘臭さにある。人格には霊性がある、

と人々は言う。だが霊的人格の危難など曖昧だ。魂には、弱い肉体も必要。

幽霊が勇気を体現する事などない。勇気と魂は、体の持つ本質的な脆さゆえ、

逆に証明されるものだ。痛みも恐怖も感じぬ機械が戦う事に勇気はいらない。

小説家が登場人物を戦わせたり、作品の中で論争する事は論争ですらない。

誰かに直接ぶつかる事なく、戦争や喧嘩や恋を妄想するのは平和な小説だ。

あれだから、他者を認識したくないのだろう。妬ましいものは全部自分の、

全部自分のものだと、小説の中で吠えているだけが、日本の作家でしかない。

現代人には簡単な嘘しか言えない。異質なものを、異論として扱えないのは、

作家らが知的に弱いからである。頭が悪い妄想文なら東洋の猿にお似合いだ。

ああ、そこら中に落ちている東洋魂に、性的な魅力ある肉体は一切ないのだ。

ありとあらゆる東洋人が、女性的な、弱弱しい卑しい気質を持っているから。

そして、西洋など既に、消えているから、東洋には反逆者がいないのである。

東洋人らは、個性とか自我とか人格とか、信念とか恋愛とか論争とは無縁だ。

男の性的魅力は、肉体を破壊しそうな程の、霊性の強烈さのみにある訳だし、

それを証明された後で、魂から逃げ回る事など出来はしない。無駄は豪奢だ。

我も過去築き上げたものを、安全と歴史を、全て無駄にしたのである。さて、

何が良いかどうかは分からない。ただ、イエスキリストも未だに特別何も、

報われておらぬようで、無駄そのものである。無駄こそが言葉の意味をば、

体現する魂であろう。何か危険な事をして、報われると思ってはいけない。

作家どもは、例えばだが、弱者を救うふりをして評価される事を期待する。

生活のため、名誉のために盗作をし、偽善を金にする。そこに人格などは、

要らないのだし、ある意味、無駄のない人生だ。それこそ無駄な人生だが、

ある意味では、作家ほど無駄のない狂った猿はいないのである。商売だよ。

女流作家の如き損得を度外視した男の体なら、性的かつ肉体的魅力がある。

おお、現代の日本人に全てに体がない!肉なき幽霊、それが日本人なのだ。

だから、あれだけ肉を喰いたがるようになったのであろう。作家は血や肉に、

飢えているのだろう。あれら老猿が、熱血を騙るのは実に笑止千万である。

全ては小説である。日本人には精神など実際に有するものは殆どないのだ、

殆どないならば簡単に、ない、と言ったほうが、低能も読める文章になる。

おお、おお、スリルが欲しいのか、スリルが欲しいのか大勢で一人からの。

だが、彼が一人、我に求めるものも、それなのだ。彼が歌うスリルなどは、

現実の人間は持たない魅力でしかない。スリル。人などは何も怖くはない、

そして、危い魅力なんざ霊にはない。生きた高貴さだけが危険な魅力だ。

高貴さ!高貴さとは、血の色によって象徴される。卑賤の血統とは違う。

流血とは死の危難であるが、生きた血の色など見えない。心の色などは、

見えない。出口は必要ない訳だ!小説には排泄の類しかないのであるが、

日本の作家は、優位にある他者を妬んで生きるだけの、弱い偏執狂だ、

それを被害者に救済して貰おうとか、他に責任転嫁するのも作家だ。

作家には、魂がないのだから、性欲によって大勢人物を増やすだけで、

一人の男も女も書けはしないのだ。人格がないのが日本の新聞である。

虚偽告発の敗者は放っておこう。国家とは負けた小説でしかないのだ。



続く・・・
未校正

Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/17 (Tue) 23:12:39



現代人が魂の事を話せば、唯気のせいか、感情の一種、もしくはその、

彼らの死後の霊的希望やら妄想でしかない。血の色は、見えない。

生きた人格が見えぬように、人間の魂も見えない本質だ。猿どもが、

玉手箱の容器だけ盗み合って書いたのが、日本語という文字なのだ。

新聞の字の全てに魂は入っていない。字だけである。字とは容器だ、

だが文字に意味を見出して剽窃し、文字へと発情するとは、哀れだ。

奴らは日本製のマッチ箱に色々な国の名前を付け、しゅっと擦る時に、

海外の国の名前を連発する。現代人のやることは、すべて文字だけだ。

記号や象徴を欲望し、異国の記号だけを散りばめた小説!悲惨である。

現代の作家らは、資料を読み解く作業が出来ない、似非学者であり、

飲み会で知り合った、下らない工作員であり、全員が前科者である。

極貧の者よりも不幸なのが、日本の小説家という何も持たぬ人種だ。

被害者より更に不幸なのが、犯罪者が書く小説である。猿の作家を、

受け入れる土壌がある国は、逆に人類の人権に居場所がないはずだ。

猿には居場所があるようだが、猿には実体がないので剽窃を続ける。

文字だけだが。文字だけなら、頭の弱い女や猿にも剽窃が出来る訳だ。

日本国は、組織犯罪を何らかの意味で、正当化せねばならない国だし、

政治と無関係な作家もいない。それで長年堂々と盗作をやっているのだ!

敗訴した官民は見てみぬふりだ、状況として不自然過ぎる居直りである。

魂だのなんだの贅沢品は、卑しい工作員らには、似合わないはずだが、

ああ猿は、何か人格が似合うと思いたいのだろう。それこそ猿の性癖だ。

猿とは?日本人だ。完全なる虚無である。作家は虚無である。だから、

答弁義務がある事には答えぬし、それは作家のせいではないのだ。

日本国全てが共謀している国家テロである。あらゆる義務を免れて、

ただ妄想ばかり書き連ねる事で、新聞という非現実を作っている。

現代の事件など、殆どが偽旗ではないか。テロは作家が作る話だ。

平和そうな人種ほど邪悪な種族はない。そこに病的な邪悪さを、

平和ぶって隠しているからだ。東洋の邪悪さに性的魅力はない。

女の皮膚や性器にも魅力がない!作文に下らぬ思い上がりがある。

愛とか恋とか性などと書けば、それだけで注目されると思っている、

女ども。女どもの性欲が下らないから、日本全てが下らないのだ。

作家の性欲には何の意味もなく、女が書く男には、何も人格がない。

屑どもが自惚れるな!作家や下らない男女に中身がない事は明白だ。

中身がなければ、結局外面などもないし、敗者は恥を知らぬ訳だから。





続く・・・
未校正

Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/17 (Tue) 23:56:42



中身がない文とは、字と字に双子関係がない文章だ。誰であっても、

太郎に中身がある、と言う台詞は書く。中身がある、と書いておき、

何も中身がない、では恰好が悪い。と、結論が出る処だが、今では、

極度に恰好が悪いところ恰好が良いと書けば良く、女にも簡単小説だ。

高齢者の小説は実に簡単な猿芸だ。頭が悪ければ良いと書くのも簡単、

超高齢者の願望次第で、新聞は捏造されてゆく。親が付けた名もない、

だが親が付けた名なのだそうだ。猿どもに親など居る訳がないのだが、

人間様の真似をしたくて、したくてしょうがない猿が、現代人なのだ。

今では人間に対抗して、象徴を模造する事が、東洋猿の性欲なのである。

我々人類に対抗している黄色い猿、それが日本の新聞連載の作家の猿魂だ。

歴史はない!人格は数秒で文字になるのだから、歴史も数秒で字に書かれる。

さあ、こういう女です、名は、こういう男です、こういう、人間なのです。

日本人には風格もない!人格がないのは、歴史に歴史らしさがないからだ。

昔馴染み、などという文字しか、昔も今も存在せぬのが小説であり、日本は、

何処にも由来する魂がないのだ。霊性の根源を表す言葉も先祖も一切ない。

しかし、我と彼は人類以上であるから、人とは、如何に語る魂であるのか、

霊的な質の違いを猿国民に見せる事こそ、人類愛になるだろう。それに人は、

上辺の国家共同体にも抗う側面を持たねば、人らしい歴史を顕わせぬのだ。

何故、女どもが人間らしくないかと言えば、恋などに価値を見いだしている、

それゆえだ。心なく知能低い高齢者が恋したい、と思えば通り魔犯罪になる。

猿人が求めているのは、恋より人格なのだろう。現代人に人格はないのだが、

これを書けば生活の足しになるよ、と会社に強いられた事しか煽らないのだ。

子供らもそうであろう?仲間内で犯罪があった時、加害者を止める子はない。

被害者を諫める方だけ簡単である。警察もそのような卑劣さに流されており、

生活のために、被害者つまり弱者を黙らせようとするのが、日本男児なのだ。

鉄砲を腰に付けた役立たずとは男として醜いし、魅力など日本にはないのである。

無駄を嫌い、生活のためと警察という組織の安全のため国家が被害者と戦っている。

作家も政治家も警察も弁護士も村の共同体だ。日本人には、男の魅力がないのである。




続く・・・
未校正

Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/04/18 (Wed) 00:42:36




日本という国家も使い勝手は良い。つまり敵を作らず嫉妬もされない凡庸な、

一市民である限り、自業自得の被害しかないのだし、その場合の女性陣は、

世界で最も親切になる。つまり、何か落とし物をした場合は親切に探す。

誰も悪くない状況で、困っている人間がある場合には大勢が親切になる。

だが義経のように、大勢を敵に回し、その敵が自国内にある場合には、

日本全体が機能不全国家となり、常に被害者を追い詰める形になる。

そして、被害者が不幸になった事を見て安心し、後で持ち上げる。

これこそ言葉を扱う上で、とても重大な不実である。相互扶助や、

平等幻想やらが消えると正義を実行出来ない、村社会の恥部だ。

何が正義かは事後でも良い。正義云々への拘り自体ない国は、

公然と論じる事もなく、妄想小説と単純な性欲が支配する。

家畜が誤魔化しに使うのは、男女に関わる記号だ。これが、

人類を洗脳する支配者の手口だ。ならば男の勇気とは何か?

これだけで覚める。男性的な拘りこそ、支配を破るのである。

日本の老女には元々人格もない、年少者の言は邪魔だから盗み、

小説に家畜らを量産したあげく、息子も中身がない老人なのだ。

そこに高齢者の貪欲さばかり、透け見える。従順な家畜であると、

態度で示せばそれだけで、老害が老害に安堵して、地位を与える。

自称上等気分の老害を脅かさない、家畜とは超高齢女性作家である。

人間として必要とされていないのだ、女は。無能な男性老害を褒めて、

いかに頭が悪く、醜く、老いた女流作家であるか、示せばいい訳だ。

何せ男の作家らに男性的な勇気がないのだから、全ての敵対関係も、

茶番である。まず強者へと逆らうふりをする組織人は、偽物である。

大切なのは、個人が組織と敵対する事。真実とはそういう性質だ。

真実とは、個人にしかないのだ。大勢には何の真実もないからだ。

誰が発言したのか隠す目的の、剽窃の相互扶助は醜い日本を作る。

今の小説のように醜い作品が溢れているのは、誰かの思惑通りか、

単なる日本の自業自得であろうか。醜い男女に美という字を付け、

美を連発しても、現代の国家は外側から見る機能を失っているし、

何もかもが、空虚である。その調子の現代には見るべき愛がない。






続く・・・
未校正

E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - 布置将臣©

2018/04/18 (Wed) 13:43:24




才気渙発な猛禽類は、東洋の弱弱しい猿からも恨まれるものだ。

遮那は、誰より強くなって敵さえ倒せば良い、と考えていたが、

むしろ、弱いふりをする事だけが、義経を守ったのであろう。

東洋人に善と思わせるには、まず卑しくて頭が悪そうで個我を、

何も持たなければ良いのである。個人の意見も、東洋にはない。

そう、だから鬼一が、侍になるな、と言った通りでもあった。

侍といえども、猿の国では戦士の意味を持っていなかったし、

東洋には、世渡りだとか、馴れ合いだとか、女の倫理がある。

そんな中で、まっとうに手柄を立てても、記録を改竄されて、

作家ども同然の似非侍どもから、恨まれるのは当然だった。

鬼一は所謂人間ではないので、性差がある皆を嫌いなのかも、

知れなかった。多分極性が殆どないのが、彼の総身だろうし、

それはエルヴィスにも見られる特徴だ。あまりにも矛盾する、

激しさや、穏やかさが一人の人間の中に見られるのである。

彼は半身の極性も否定し、足りぬものを補わせようとする、

そうして、彼は本当に、彼の失われた愛を回復したいのだ。

鬼一によれば我は小さい頃、既に殿らしかったという事で、

だから、他が真似できぬ気位の高さが愛おしかったそうだ。

それは、庶民が必死になって気位が高いというのとは違い、

要するに、誇りのためには命をかけるのが、侍なのである。

そして、遮那が殿らしい程に、反対の特徴を彼は欲望する。

それが今求められている恋歌であり、恋なのだ。こんな、

天狗との絆などという代物だから、東洋猿も来ないだろう、

と思った、我は甘かった。それに常磐が極端な程の麗人で、

その恐怖が遮那に受け継がれたために、彼が桜を愛でる如き、

恋自体裏切りとなる。確かに我も彼の性を独占したかったが、

麗人として魅了する事は悲しい。大変な餓鬼だが放っておけぬ、

と彼が案じていた頃の方に愛があるのだ。だが、そう考えると、

やはり極性が生じてしまう。一と九で和すべしとは彼と我で、

補い合う関係だけではなくて、慈愛も劣情も全て必要な事だ、

という奥義でもあるからだ。人間が醜いのは高貴な愛がなく、

勇気もなく、恋とか何とか欲望を美化するためであろう。

彼は、卑しい猿の女どもと違って、高貴であったが、

高貴さとは思想や理念のための戦いであるから、通常、

女性が持たない特徴である。ああ、その理念への愛が、

性欲で補われるならば、彼自体を台無しにはしないか、

と、遮那は不安なのであった。ある意味で遮那は彼を、

鋼鉄製の猛者のように思いたかった。しかし彼が暖かく、

弱い血肉を持つ人間でもある、という事を受け入れてない、

ならば、自分の弱さも見ていないという事になるだろう。

しかも今さら弱くなった処で、猿どもが我らを面白がり、

嫌がらせの小説を書くのは目に見えている。女には小説、

そうであろう。戦場で勇ましく戦っても、記録係とかいう、

女流小説家の類が、侍になれぬ嫉妬を書き散らす。ああ、

我らが今さら、弱さを受け入れ、恋に溺れた処でそれは、

いよいよ危い道を行くとしか思えない。しかし彼は何度も、

何度も我を抱いても、まだ身を任せられているとは思えぬ、

もっと、上手く抱かれなければ恋を証しできないぞ、と、

言うのだった。確かに遮那は、彼が女扱いしようとした時、

侍の矜持を傷付けられた。家を捨て、慌てて追って来た彼の、

目の前で、義経は自分だけ、女を口説いて見せたりした。

鬼一から見れば、遮那が女のようだと、今でも思うのか?

もう今後は、我をなめるなよ、という態度であったのだ。

それで、鬼一を傷付けて来たのであるが、更にそれで、

大勢の女達を犠牲にもしたのである。しかし今は、

勇気であれ弱さであれ、彼の全てを失いたくは、

ないのだ。彼は、女に出来ぬ男らしい事をして、

遮那を、元の自分だけの愛の化身に戻したい、

と思っているのだ。ああ、何度彼がそうして、

愛の夜を重ねても、遮那は彼の欲望の波へと、

逆らっているのである。それで総身になれない。

互角であろう、互角であろうとするのが剣技、

だがこの奥義とは、剣の技ではないのである。

彼は、遮那の衣を剥いで、身を護れない状態の、

無防備を長く堪能した。彼は遮那を保護する側だ、

すると総身としては、別の性へと向かう訳である。

それは、虹光が全体の白を回復したがる欲望であり、

日頃の彼は、ある傾向を帯びる程、別の色になる。

彼も、自ら別当家と源氏の血筋から自由になろう、

なろうとする程に、総身としては彼が求める姿が、

別当家から宿命的にあてがわれた名自体となる。

顕快。その血は、源氏へ繋がる事を慶びとした。

彼は、雑種の子に希望を持っていないのだ。彼が、

自身を源氏の血混じりと感じ、遮那も同質である、

という事だけが、彼の根なし草を埋めるのである。

その源氏とは、個人の中にしかない別の血なのだ。

彼の根も、居場所を求める我に注ぎ込まれていた。

我を上で抑える。そして色々な姿態を見たいのか、

何も持たない遮那の体を飾り付けるかのように、

彼の腕の中で、色々な恰好を取らせ、又それを、

それぞれ違った風に犯して、愛撫するのだった。

彼は絵を描いているようだった。その絵の中に、

我ばかりではなく、彼だけが入っている。彼は、

公的な英雄としての自身と半身を台無しにする事で、

大いなる無駄である快や、至高の愛を感じてる。

今の彼が描く絵から逃れようと、我は身を捩った。





続く・・・
未校正

E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/04/18 (Wed) 22:43:43



すると一瞬、体が自由になった時に、俗世が見えた。

その地上には、全ての偽り事ばかりがあって、誰も、

人間がいなかった。この鬼一と遮那以外は既に何も、

知能も理性も持たず、なのに盗んだ字と記号を使い、

国民を洗脳する目的で、又自ら洗脳される老人らが、

その老人の手下の餓鬼を使い、機械のように虚しく、

記号の幸不幸に一喜一憂し、芝居を続け生きていた。

新聞には、そのような空虚な東洋の小説が載り続け、

何人作家らが代替わりしても、どれも同じように、

下らなく、浅薄で、文化的な程度が低かった。だが、

作家らは精一杯背伸びをし、新聞に載る方が文化的だ、

と思っているようだった。しかし化物の悪あがきだ。

小説には遮那がその時言った事が、全然違う彼らの、

新聞連載の作家の言葉になって、話題は改竄されて、

別件にしてやったぞと、作家らは悪行を誇示していた。

裁判所で負けた当事者が、そのような小説を書いて、

国民はわざと、それを見てみぬふりして喜んでいた。

必死になって、遮那の問題を別者の別問題へと変え、

奪い、盗み、汚そうとする老婆らの執念が見えた。

老いや女性らしさとは多分日本人全ての性質であり、

生まれた時から老人めく皆は、個人が憎いのだろう。

鬼一以外は、男性が存在していないのだ。我には、

世の中の人々と、新聞の小説に出て来る下らない、

人格のない男女を見て、勇気もない機械に思えた。

壊れた性癖の機械、産む機械だ。何と、醜いのか。

作中の幸運や悲劇にも、人らしい反応などがなく、

当事者意識がないものばかりだ。誰と誰の話なのか、

さっぱり読んでも分からないし、作者らは多分、

人称を暈したいのだろう。実在を否定したいのだ。

東洋のどの国も同じらしい。違いを嫌い、平坦で、

最も醜い老婆へ同化させようとする怨念があった。

あれこそ、土地の怨念ではなくて、東洋の怨念だ。

出る杭の特徴を奪ってやろう、とする本能である。

それは、日本や中国や韓国や朝鮮の劣情であり、

個人を殺さなければ、東洋は生きられないのだ、

それこそが、愉悦なんだよ、個を抹殺しよう、

と皆を扇動しているかのようだった。東洋では、

乱交か浮気可能な愛か、子作りの家以外の何も、

民族らしい労働の領域を、認めないのであろう。

どうも日本人にとって恋愛とは苦役であるらしく、

楽しい、楽しいと叫びつつ、皆不幸そうに見える。

自分も日本で生活しているのだが、鬼一に抱かれて、

鬼一の目線で日本人の女をみると、恐ろしい程に、

脳の構造が醜かった。学生や男児らは老婆のようで、

性質醜く頭が良さそうなのも勇敢そうなのも居らず、

群れて居るが一人も、男の欠点すら持ってなかった。

せいぜい、男の欠点を持つ者が日本に居れば良いが、

そんな日本は、存在しないのである。赤ん坊すら、

つまり息子すら、老婆かそれ以下の性癖で生まれて、

男児や当然女は雄の特徴を持たないのだ。顔も醜い。

それは、東洋の特に幼児的な老婆そのものなのだろう。

遮那は、なんという不気味な女達の地獄の国かと思った。

鬼一は、我を見て「身を離そうとするからだ」と窘めた。



*

未校正
続く

Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/04/19 (Thu) 00:56:26



遮那なら敵群を理性的に嫌うだけだったが、鬼一の、

裸の本能は、我らを襲う日中韓などを嫌悪していた。

このため、得体の知れない天狗や魔王になったのだな、

と思える程、彼自体が異界である。島国らしくないし、

東洋らしくもない。天狗とは確かに自我の強さである。

女の作家の類が長年、愚かな盗癖のみで性欲を満たし、

民衆も、そのような嫌がらせを必要とする最悪の国は、

毛嫌いされていた。今も己を知らぬ民族が、恋などを、

美化したいなら、個への憎悪、剽窃文字の羅列になる、

それは、当然だろう。必要なのは、肉体だけではない。

己というものを持たぬなら、心は他人へと転嫁される。

日本とか中国とか韓国資本の新聞の小説は、罪なのだ。

つまり嘘を嘘でないという程度の小説である。最低の、

畜群ならば、しょうがない。猿人に人の勝利は来ない。

猿は、猿芸によって既に敗北を宣言しているのだから。

そもそも今の武勲は全て、長所のない作家が創作するし、

偉大さとは何か、語ろうと思う自体が、ばかばかしい。

文字に何の意味もなく、侍の歴史なら改竄されるのだ。

既に今の、東洋の醜悪さというものは救いようがない。

新聞は現実だけを絵にせず、脳内現実しか絵に描かぬし、

血肉に飢えてる。そう現代人は虚無だ。熱血なら字だけ、

勇気を持たない女からは、血や汗の匂いもしない。女は、

我ら侍の魂を持つ連中を見て、欲情、しているであろう。

我らにつきまとっていた輩が作家の夫らで、価値もない。

男女の無価値ぶりを、奴らは自ら引き受けられないのだ。

逆恨みして、その時の話題を、上辺だけ無理に奪う奴ら。

目の細い敵群は、人を装うために絵画や小説を増やすが、

もし実際に、悲鳴を上げている人がいれば見ぬふりをし、

女の卑劣さは棚に上げて、男のくせ云々と吠え続け、

架空の他ばかりに要求する、身の程知らずらは、実に、

醜い。男に誠意をと吠えるなら、まず女が貞淑になれ。

さあ、我らは現実の悲鳴を上げるとしよう、皆聞かないが、

小説の中でわざと悲鳴を上げるのだろう、知恵おくれの猿は。

学校では少年少女の頃から皆老婆だ。男の欠点すら持ってない。

日本には男の欠点はなくて、男にも女の欠点しかないのである。

ああ、我は、鬼一の欠点だけ愛おしい!素晴しい欠点こそが、

男の特質であるように思える。しかしながら日本には男性が、

居ないのだし、新聞に男の欠点とか文字が出ても意味はない。

本当に、男の魅力とは、欠点が魅力でなければ無意味だろう!

文字は、女が操るものである。男の現実には破壊力が必要だ。

それこそ、現実との境目ではないだろうか?特殊な美質の欠点が、

必要ではなかろうか。女達は馬鹿どもだから欠点を隠す。

猿は反応が欲しくて、盗作をするのみだ。構われたいのだろ、

女どもは、どれもこれも猿さ、性質が悪い。まさに東洋猿だ、

ああ、字とは欠点なのだろうか?違う。字に長所はないのだ。

猿芸を続ける小説家というのは、存在そのものが異常であり、

欠点の有無以前である。ああ、独逸人の教授から忠告された、

(君が東洋?日本!ああ、生きてゆけないだろう、きっと)

という言葉を思い出した。確かに我には東洋など苦痛だが、

現代人は何人であれ、東洋的で無表情に過ぎる。今では、

民衆にとって、手軽なものであるべき、即席仕上げの、

恋や肉欲の小説も、血の均質化のためにある共産的な、

同化政策のための道具らしい。性が家畜の労働である。

つまり、夫婦などの問題以前に、性とか恋愛自体も、

現代では、最も記号的で非人間的な暴力の物語だ。

我は、そういう物語は御免なのである。そもそも、

鬼一が現実を用いて描く絵や虹光すら、危いのだ、

それは、文字のように、魂を持たない偶像へと、

繋がる危険があるからだ。虹自体に意味はないさ。

家畜は、自らに性欲があって、性的に必要とされる、

と勘違いしている。そんな、生物に性的な浪漫など、

特にないのだし、生産性のため種付けも工夫される、

それだけだ。そんな自覚もなく人間ぶる事は悪い。

小説にも芸術性がないのは、自覚もないためだろう、

肉に飢えた猿人らには!偽の血の自覚が足らぬのだ。

新聞の性欲とは、個性もなく人格もないからこそ、

人格や自由や権力の象徴である人の肉に飢えてる。

元の理由は、個性や人格への、熱望なのであろう。

すると、本末転倒なのである。人格がなければ、

東洋の恋愛なんてものは、食事の集いでしかない。

本来若者より経験豊富であるべき老人らは、一切、

人生経験も感じさせない存在だ。偽証罪で負けて、

作家が事件を別の事件にして、又捻じ曲げるだけ。

女は元々弱者ゆえ負けず嫌いだ、日本猿。絶望を、

知る者だけが、貴族的でもあるはずだが、ああ、

百姓一揆以下だなあ、と遮那は嘆息する。突然、

鬼一が己の意欲を乱されまいとして、腕を握る。

彼の掌が掴む表情は、掌の言葉だ。鬼一の手だ。

表現する手の感触と、彼、独自の想いがある。

精神というのは、殆ど呼名にならない程に、

内面的で、神秘な謎でもあるのだろう。何か、

共同体が呼び表すための言葉は、恋にはない。

慶べば皆の慶びかというと、それだけでない。

我とこうして彼が慶ぶなら、その慶びはやはり、

彼一人のものなのだ。分け合えないものだけが、

金で買えない恋なのである。それに独自のもの。

一人だけの秘密だ。弁慶が衣川で歌や踊りを見せ、

秘密を外側に撒こうとしたが、殿はつれなかった、

これではいけない、というだけの、暴露である。

別に、二人の関係自体は、言おうが言うまいが、

既に、外面的に変わらぬ、内的信頼関係がある。

それは、確かに現代的ではない無償の愛だろう、

だが、無償の愛の恐ろしさを見れば誰も我らに、

つき従う事は出来ないだろう。あの岡城だとか、

捨てられる家とか、平泉に住みたくないだろう、

誰だって、その頃の悲惨などは望まないだろう。

現代人は全て、生まれた時から老人めいており、

全て、記号的に同じものを皆揃って欲しがる。

不幸であれ、何であれ、記号的には全てが皆、

同じだけの平等幻想を、所有していたがる。

そう、だから幸福以外まで妬まれるのである、

全てが、他人の人格を思わせるものだからだ。

だが、偽者には発散するだけ薔薇がない。汗も、

香りも、深紅の匂いも、あると書けど何もない。

概念の中にもないものを書いて、賢いのだ、

何と賢い人だ、何という知性の香りだと連発。

そんな作文には、性的な魅力がないのである。

あらゆるものが、他への感想文の自己消費だ。

何もかもが、不似合いな精神でしかないのだ。

勇気や個性や熱血ぶりも、字以外持たぬ時代、

今後も、雄々しい美男は生まれぬだろう。今でも、

老人らは長所もなく、答弁する責務も果たさない。

幼児よりも頭が悪い。そして感受性も何もないが、

批評家も、下らぬ作文を言葉で煽てる異常者だ。

それで、具体的に良い処など褒めようはないし、

取柄がないのは、元々芸術ですらないからだ。

作家は失敗作ではないし、生まれるべきでない。

雇われた作家らの仕事の意味は、事実の隠蔽だ、

勿論、政府が作家らを雇って、やらせている。

だが不思議な性癖だ!皆の現実は何だろう?

科学的な事実もあるだろう。ある心や体で、

直接個人的に信じたものが、その人の現実。

しかし、他人のものばかり見て、舞台から、

自分の心や体を空想する人種とは何なのか。

共通の事実は科学である。その共通の部分、

客観的事実とは、人間の数の客観ではなく、

数学的、科学的に見た、事実の区分である。

その区分がなければ、暗黒社会の到来、だ。

科学や事実を、東洋人は何故だか否定して、

小説や偽りや偽旗で置き換え出した。多分、

ああ多分、あらゆる和が求められている。

もう現代人には、悶着すら面倒臭いので、

悶着を創作して、印象をば操作するのだ。

世界中がそのような方式で、偽旗ばかり、

報道する世だが。新聞に載る事件自体も、

小説家らの作ったものなのだ。それだけ、

目立たせたいから、小説だけ色を付ける。

重要な工作員こそ作家だから、頭が悪く、

何事をやっているかも、自覚出来ぬ何か、

知的な面での障害者の筋だけ選ばれている。

でもまず、個々の者の、内的な現実ならば、

ある人間を好きだとか、そうではないとか、

そういう、信念に纏わる問題となるだろう。

他人が、それを、そんなはずはない、とか、

否定しても騙しても、実の他人の心は何も、

物語どもの記号で変化させられる恋でない。

作家らの描く恋する男女など邪悪であるが、

それが邪悪なのは、多分主観がないからだ。

世間にどうみえるか、と意識して見せつつ、

作家が自身の内面を知る知恵だけないのだ。

つまり他人の記号を盗み、作家が妬みから、

色々捻じ曲げているだけだ、今の作家らは、

その自らの下らない内面の感情を見ない。

実際の恋なら、個々人の主観的な信念だ。

彼が我に触れる時、彼一人の想いが籠る、

それは、二人だけの知る想いであるけど、

言葉以前に伝わるのだから、言葉不要だ。

先祖に何人いても、結局彼一人の問題は、

何語にもならないが、本能で通じる歌だ。

日頃の遮那を、どんな風に想うのか。と、

昼に想って来た事も、今の夜で補ってる。


*

未校正
続く



Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/20 (Fri) 18:17:06



現代人には、らしい要素が何もない。

長所がないので、欠点も何もないのだ。

夜すら昼の延長の夜だ。日本人の夜には、

夜らしさがない。照明を消せど昼の続き、

日本の肌には、夜の淡さがない。絵でも、

何でも、以前の夜は日本には見られない。

それは文字への妄信のせいだろう。夜だの、

裸だのと書けば、裸体の魅力が出るとか、

そんな科学はないのである。我らが漸く、

今の夜、を感知出来たのは彼のおかげだ。

ああ、夜は、科学のおかげで存在する。

日本のおかげではない。日本人には何も、

夜がないのだ。夜を排除して来たのだ。

見たくない事を見ずに小説を書いて、

答えるべき事に答えぬ無責任な昼を、

夜だ夜だ、と偽って来ただけなのだ。

それは昼の情念であって、夜の側を、

懸命に偽の夜で隠そうとする偽りの、

紙の上に描かれた裸体でしかないのだ。

そこに性的な魅力は一切ない。紙など、

絵とは相性が悪いものなのだ。絵とは、

人間の情念の中にしかない別物である。

日頃の、昼の慶びの方が些細なものだと、

言いたげな顔の彼だった。我が愛した彼、

昼の彼は幻のように弱くなり、補う愛の、

取り分が夜になる。一と九で和すにせよ、

二人の和合よりも、昼と夜の和解が要る。

彼は、こう見えても夜の人種だなのだ。

殆ど日頃の彼に含まれないが、核心の、

彼らしい彼。彼は、昼の彼に含まれず、

迷子のように彷徨っていたのだ。ああ、

その夜とは、人々の思う夜ではなく、

言葉にならぬ処にある本物の夜だ。

エルヴィスが恋の居場所を探しても、

地上に何も見つからなかった理由が、

今では、良くわかって来た。そうだ、

それは迷子の義経の罪の反映だ。我が、

彼の個人的な愛の絵に拘束されぬ場合、

他人の欲す別の絵に入らねばならない。

だからエルは地上の絵に入ろうとして、

その特別性ゆえ溢れ出てしまったのだ。

作家は加害行為を継続する程に、その、

対象になりきる、という性癖を持つ。

脳に被害体験が生じるのだ。それぞれ、

作家の妄想する事が、正しい訳はない。

加害者が、単純に加害者である場合、

被害と加害の違いは、混同出来ない。

科学的にはそうだ。しかし犯罪者は、

同時に精神異常者なので、加害して、

際限なく被害者から象徴を盗む事で、

被害者になったと思う新聞でもある。

誰もが「望む現実を現実と思いたい」

欲望を、抱えている。だから事実より、

性的な小説ばかり新聞に載るが、そう、

それは事件も性欲や願望で改竄しつつ、

捏造したがる、そんな裸の性癖の表れ。

つまり現代人の夜や性の営みの物語は、

人を欺くための偽の餌で、極度に嘘臭い。

新聞には裸体の絵や性欲小説が載るが、

それこそが日本の昼でなくて何だろう。

作者自身の、御都合の裏を批判しても、

そこを語る術はないし、夜はないのだ。

大本営は御都合主義だし、庶民も同じ。

曖昧な多神教では、並列する矛盾すら、

此処別々の現実として矛盾のままでも、

放って置けるのだろう。しかし恋愛が、

恋歌で美しく語られるようなものなら、

日本の残忍な一神教となる。誰かには、

唯一本当に恋しい人が有る。それが、

誰なのかの公的な証しは未だないが、

本人は、唯一の運命の相手を知る。

それを明かさねばならぬ、その際、

矛盾しながら並立する関係はなく、

問題は、男や女の性欲ではなくて、

単なる科学になるだろう。夜こそ、

科学なのだ。夜のみが個人を示す。

唯、二人の絆にしか、真実はない。

キリストの罪とは、愛された事だ。

場合によっては、悶着の種自体だ、

それが。だが、もし神が真実なら、

夜に、真の神が霊的現実を顕わし、

支配し、小説家の嘘である小説は、

その作家の犯罪の言い訳としては、

存在出来ない時が来る事だろう。

ある真実の神とは真実であるが、

人類という虚偽が存在する限り、

真実の答えなど、犠牲になる。

こう思われたいと願う事など、

全て昼の世界にしかないのだ。

洗脳報道は全て昼の領域だし、

性の話題には性的魅力がない。

猿の肉体には魅力がないのだ、

それを女達は一切知らないが。

女の性欲だの裸体など醜悪だ、

男なら簡単に手にはいる婆に、

惚れる事はないのである。女、

それは高度な武勲からも遠く、

何一つ価値のない肉塊である。

つまり現代の男は女であろう、

何一つ男の、長所を持たない。

つまり長所がなければ小説や、

空想に縋り付く以外ないのだ。

だから男は通常小説を好まず、

実際の戦争を欲するのである。

小説は愚かな女が描く空想で、

そこに正義だけはないものだ。

現実になすべき事があるのに、

日本猿は小説ばかり書いてる。

女どもは素顔を出さず執拗に、

小説で素顔をねつ造するのだ。

つまり仮面は善人だが本性は、

犯罪者、それが現代人である。

現代人の昼を引きはがすなら、

犯罪者の本性が見える。そう、

人格を持たない事が恨みゆえ、

人間になりたくて犯罪を犯す。

そこに正しい答えはないのだ。

正しい事が正しいと誰にでも、

分かるものなら、地上自体も、

神が神と分かる処であるはず。

実際はそうではないし、地の、

人間社会の権威に偽りなくば、

審判をする必要すらない訳だ。

キリストが最初から権威であり、

周囲からキリストとして扱われ、

既に世が出来上がっているなら、

誰も迷わない。誰も間違わない。

キリストをキリストと呼び付け、

昼の世界に持ち込む事が誤りだ。

そんなに分かりやすいものなら、

誰も、感じ考える必要すらない。

間違った事を信じて失敗するか、

他の大勢の中で自分だけ正解を、

引き当てるか。そういう違いが、

女には分からないのである。女は、

つまり現代の男は全て自分が、

正解だと勘違いしている。他を、

窘める時には自分が正しくて、

他人は正しくないという訳だ。

どこでその区分を付ける?

日本には昼の権威しかない。

夜の目の真実を知らないのだ。

日本に愚かな偽りも必要なのだ、

精神や、思考の鍛錬のためには。

しかし愚かな偽りを正義だとか、

正解だと大人が思うのは権威を、

乗っ取って生活しているからだ。

性と給料は正義の言い訳にならぬ、

これが日本民族には理解出来ない。

職務が何であれ、虚偽答弁すれば、

小説家であれ犯罪、それが科学だ。

キリストは日本で知られないが、

日本語は、小説だから素顔の言葉、

素顔の文字がないのである。小説、

その中に出て来る裸は化粧である。

女達は永遠に本音を吐かないのだ、

それは老婆作家の本音は醜悪な、

性欲以外何もないからだ。性欲、

それは自分を何か別ものにしたい、

と願う欲望であるだろう。偽りが、

女達の性欲なのだ。女の精神とは、

化粧そのものであり偽装そのものだ。

女には、魂というものはないので、

勇敢さも思想も持たぬのだ。女ら、

それは性の印象を売り、生活をし、

男の好意に頭を下げて生きる病気、

全ての男の好意に病的に感激する、

醜い洗脳奴隷、それが日本の女だ。

醜く邪悪な奇形、そのものである。

奇形のくせに小説をかいて人間に、

なったと妄想している化物なのだ。

大体全て、小説は見せるためのもの、

簡単に犯罪者である作者とやらが、

内面を、告白するはずがなかろう。

男ならそんな事は推測できるのだ。

しかし女どもは簡単に本音も肉も、

ある、あると偽る。能力もある、

あると書けばいいのだ、これらが、

現代日本の小説であろう。まさに、

自称少女が、少女を狙う加害少年で、

少年が邪悪な老婆の浅知恵を使い、

老人的な暴力を賛美するかのような、

支離滅裂な如何わしさが世に溢れる。

ああ、日本語とは書き手の思惑を、

隠す程には美しくないものだ。そう、

書き手や語り手には、意図がある。

その正直な思惑こそが素顔である。

いいだろうか、新聞にはその素顔が、

露われ出る事が、永遠にないのだ。

それは、作家の腹が汚いからであり、

前科があるからこそ、作家なのだ。

日本人を洗脳しようとして性的な、

下らぬ妄想ばかり書き散らすのだ。

我らは、それ以前の夜を求めてる、

その違いこそ、文才の違いである。

女の隠した息子らとは、程度が違う、

これが、我の話せる、本音である。

だが作家どもが本音と言えば嘘だ。

鬼一は我が知らない近しい部分に、

血の近さゆえなのか、接近出来る。

その血とは何なのだろう?親でも、

特に同じ血を感じはしないのだが。

しかし何のせいだか近しく生まれ、

愛の倫理的な枷によって、遮那は、

鬼一以外の間違った答えを沢山選び、

互いを傷付けて来た。何という事か、

エルヴィスにせよ近親婚の遺伝子崩壊、

そして頭の中では、ジェスのみ求めて、

許されぬ心を擁き、彷徨っていたのだ。

我らは、昼が作った偽りの夜の中で、

自分を騙して、健全になろうとした。

何という不幸だ。不幸だから夜の目が、

足りなかったのだろうか。見える地位、

見える正義、見える常識、見える概念!

健全な恋と思えないから恋を自覚出来ず、

しかし半ば自覚しながら苦しんでいた。

そんな虚偽でもむしろ、善良であろう、

健全であろうとして、求めてしまった。

鬼一だけが当時から夜の目で真実を見て、

世間が何と言おうと、誰が笑おうとも、

気にせずに、運命自体を顕わそうとした。

外の批判には答え、批判以外の事ならば、

気にもせず、誇りを持ち堂々としていた。

我は、誰からももう批判されていないが、

己自身に言い訳するように、彼との恋を、

恋ではなく、違うものだと思おうとした。

遮那は、昼の世界の理不尽には厳しいが、

世間の昼の概念に囚われて、昼の良識や、

悪徳に縛られる限り、鬼一の夜の絵には、

(それは永遠に新聞に載らぬ秘密なので)

入れないのだ。人間は、誰もがそれぞれ、

好き勝手な絵を描いている。心の中では、

我の私事を、日本人全てが盗もうとして、

奴らの偽の素顔を飾り立てるのだ。しかし、

色々な皆の欲望は、真実とは違っている。

キリストが実際は何であるかという事は、

又別の話だ。まず、キリストが神である、

との前提を採用してみよう。その場合は、

何故、神の子なのに、地位すら持たぬし、

権力も持たず、全てを望み通りに出来ず、

人々の昼の目からは、然程認められずに、

弱い人として生きて、官民の生贄になり、

後世に復活の希望を託したの、と問える。

世間の昼は、何一つ見詰めていないのだ、

つまり、読み書きは、人類には不可能だ。

本当は運命的な正解とはキリストなのに!

そして宗教の罪とは「教会にキリストが、

居るのである」との分かり易さである。

あれでは、社会的な地位と混同されて、

どんな嘘でも、文化人が吐けば真実だ、

という類の妄念になってしまう。ああ、

そんな昼の怨念では、顕わしようがない。

誰も、感知し難い明るさを感じないのだ。

心の目と夜の目で見ないからこそ、民は、

弁慶など弁慶に過ぎないと信じて来た。

真実には一神の如き交差点があるので、

彼と我は、同じ位置しか共有が出来ない。

恋のため、その意味のためにも!言葉は、

分かるためにも、区分と差別がなければ、

文意を解釈出来ないものだ。人それぞれ、

解釈は千差万別というだけではないのだ。

あらゆる女が殆どの男から欲望されるなど、

小説の虚言であり、科学であるはずがない。

卑しい男女の肉の平等幻想は排除しよう。

何か伝えたい事、限定された真実こそが、

人の意思表示なのだから。本当にその、

ある人の意志を大勢で消さない事だけが、

本来言葉の意味であり、法の意義なのだ。

言葉は、神からキリストへの私情である。

ある特定の者を愛しているか、それとも、

違うのか。千差万別の解釈など使えない。

昼の文字で改めて書けば、ぎょっとなり、

夜の出来事も昼の感覚で見ると、何やら、

愛の深さとは別に、認め難い心地がする。

否認が夜の欲望であるのに、夜は何時も、

魔性の夜を裏切り、夜を昼の男と見做す。

自分としては兎に角、二人の昼の絵から、

滑り落ちないままで、夜に到ろうとした。

しかし自力で描いた絵に昼の絵はないのだ。

公共の絵画とは、常に他人が描くものだし、

そこには嘘と昼しかない。本来の夜の絵は、

触感だからだ。公共の絵画は電気を消せば、

絵自体が見えなくなってしまう。嘘とは、

電気を消せば見えなくなる新聞の文面だ。

その印字は輝いておらず、挿絵も光らぬ。

Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/20 (Fri) 19:26:13



裸形を輝かせるのは、得体の知れぬ武勲だ。

だから、日本の小町にせよ輝夜姫にせよ、

その手柄云々のために難題を用意する程、

情の深い美姫達なのである。その課題は、

犯罪ではない。龍の珠を取って来なさい、

苔の衣も寄越しなさい、というだけだ。

素晴しい裸体は解かれた数式なのである。

姫達は、男が無防備な姿で愛す事を求む。

大変なものだけ、大変なものを愛してる。

片方だけなら、不釣り合いになるだろう。

難物とは、鋭い切っ先を持つ日本刀である。

侍が、美々しい危難に欲情するのは分かる、

弁慶も紙の刀ではなく刀を使う侍の類だから。

しかし、磔刑のキリストは未だに認められず、

報われずに居るのだ、キリストを指して彼だ、

キリストは居る、とする表札は未だにない。

居場所がないなら、真実の言葉は何処にもない。

苦い杯を、あえて受けた男がキリストであり、

欲望は、既に日本に居らぬ若者のように愚かだ。

彼は、馬鹿なのだ。知的な男程愚かで、それに、

切なくて、崇高なのである。あの最後から再び、

呑気な愛を語る程、我は非情ではない。彼は、

衣川でも酷い目に遭ったのだ。彼だけでない、

他の者にも色々と、酷い事ばかりであった。

その記憶が、何処かに残っていて我には、

彼の素晴しい欠点へと、専念出来ないのだ。

そして、身を離そうとする。すると地上では、

彼以外の邪悪な人間が作った恋のお話があり、

その全てが、我らを何とか、奴らの領域で、

貶めてやろうと、新聞紙上で待機している。

日本の全てが人格を失い、生活のため芝居し、

危難の前で思想らしさを顕わさぬ現代では、

人格こそ、皆が剽窃する欲望の根源なのだ。

現代人は、何時の敵群なのだろう?彼の裸、

強い腕が、現代から我を引き離そうとして、

いよいよ強く掴む。昼の彼は下僕でもあった、

しかし夜は支配者の顔を回復する。こんなに、

愚かにも愛欲へと入れ込む事は彼の危険だ。

(遮那は鬼一を死なせたくない)我は何とか、

逃れようと腰を動かす。しかし逆の効果で、

彼は余計に欲望を刺激される。武勲なのだ、

今更抵抗しても、彼自身を興奮させてしまう。

難物であればある程、高嶺の花になるのだ。

しかし我は、時間の前後の感覚を失っていた。

恋によって命を落としたのであれば、今は、

この狂熱が暴走する事を避けたいと感じた。

それは、自分も段々、鬼一が描く絵だけに、

魅力を感じる事が怖くなってきたからだ。

空想は不可能である。彼は現実の接点だし、

彼の男根は、互いの心の平和を奪うのだ。

我々の男性的な欲望と、元々の近しい絆、

過去の王国の破滅など、全ての要素が愛や、

この夜の性愛を、戦慄の刃へと変えるのだ。

*

未校正
続く

Re: E&J共作詩)『"弁慶大黒"の御神渡り』 - Foutchi

2018/04/20 (Fri) 23:27:42



男根らしさとは何か?勇猛である事だな!

我ら自体勇敢であれ!難物に立ち向かい、

敵を撃破し、保身よりも真や義に生きよ!

こんな愛こそ、愛と生命に逆らう愛だが。

殆ど、霊的な肉体なくば、不可能なもの、

それが恋の美だ、一瞬で破滅してしまう。

輝夜を目指した男達は、全て難破したが、

あの男達も、現代人よりは男であったし、

例の小町も又、心身が男同然だったのだ、

それで何日も何日も男を苦しめてしまう。

気高さを持つ恋とは、国家を敵に回して、

戦う将と忠臣の類か。猛者の鬼一も地上の、

女達など論外の天狗だから、遮那のみ常に、

此の世離れした天女の化身であらねばならぬ、

と言うのだ。何という超自然の難儀だろうか。

不自然であれ、人工ではない自然なのである。

超自然の愛は、遮那を女にすれば明かされる。

何しろ、当時の修行とは完全に女抜きであり、

武者修行も含んだものである。危険な深山の、

男だけの行なのだ。その男が神仏になった時、

自己充足的に、伴侶の稚児を天女として犯す。

それこそ、世に属さぬ霊的な交接であるべき、

との秘儀もあった。その奥義も一九の十だ。

だが彼は、大勢の色坊主達を嫌い、そんな、

左派の性技は邪道とみなしていた男だった。

信仰だけに慶ぶ真慶と鬼一は自ら称した。

しかし、遮那を愛してから弁慶に変えた。

それなのに、それ以前の時代の彼の痕跡の、

多くが弁慶の名になった訳は、修験者らが、

信慶などの別名だった頃の彼が後の誰だか、

後の行動を大体把握していたからだ。まあ、

各地に残る伝説の中身は嘘ばかりであるし、

大きな鐘を腕で担いだりは出来ない。勿論、

我らにとって鐘とは、当時の電話のような、

伝言のようなものでもあった。戦争の合図、

だけではない。鐘とは彼の愛と煩悩なのだ。

我らにとって、深刻に過ぎた恋の懊悩自体、

本質的に彼が高潔な男だったために生じた。

彼自身、立場の弱い者から性的に搾取する、

という僧の色恋などは、軽蔑してもいた。

彼は別当家の政治にも興味がなかったが、

趣味的に、呪術絡みの兵法を研究しつつ、

真剣を用いた剣法を、独自に発展させた。

兎に角、その創意工夫を楽しむ男なのだ。

稚児に興味はなく、女達にも興味はなく、

また、特に同性愛でもなかった彼らしい。

以前、鬼一に聞いた事がある。何故女へと、

興味を持たなかったの?と。すると彼は、

特に女が嫌いではないが、関心も薄くて、

それに周囲の男女を見ていると、何だか、

余計女というものが自分に必要と思えず、

文武の修行が忙しくて、と答えた。彼が、

何となく匂わせた事は、どうも女などは、

彼から見て対等にならず、性質も安易で、

表層的な楽しみ事しか持っていないため、

要するに、彼から見て高貴ではないため、

熱意を掻き立てられなかったようだ。ああ、

兎に角彼は、女の美談を全て否定している、

だから、現代の空虚は彼の思惑通りなのだ。

彼は己だけが殿の美談なら良い魔王だから。

難しい局面と鋭い切っ先、危険な挑戦やら、

英雄的な願望自体が、男の恋なのである。

しかし、彼は我に分かりやすく説明せず、

一般の男女を、どう思うかのみ漏らした。

遮那をどうして欲しいのか言わないのだ。

そこに、遮那をもう、これ以上難物には、

したくない、大人しくして欲しいと思う、

矛盾した心があるようなのだが。そうだ、

兎に角、彼にとって女は至極弱いもので、

つまり頭も弱く、心も弱いものだし、同じ、

人とは思えない臓物の類であるから、そう、

弱いから女は愛せない!女と交際するのは、

男の弱い者虐めの性癖だろうね!とまで言う。

なる程、確かに女達は男の前で、実際よりも、

弱いふりをして、気を引こうとする者が多い、

それは、男達の弱い者虐めの卑しい性癖の、

女々しい部分に女が共感していて、男女共、

女同士のように利用し合う暴力かも知れぬ。

確かにエルヴィスが米国で、世間体のため、

女達の大勢と交際しようとした事は結局、

エルヴィスの弱い者虐めのような扱いと、

女達の逆襲というべき著作権侵害だとか、

財産を巡る利権への執念ばかりだった。

まったく米国に恋の美談は一切ない訳で、

エルヴィスも女虐め以外の何もしてない。

現代の惨めな組織で迷子にされた名をば、

我らは、取り戻さねばならないのである。

エルヴィスは詩人で戦士のパットン狂いで、

決闘して死んだヴァレンチノ狂いでもあり、

侍やら日本武術を偏愛する。その彼は全く、

エルヴィス自身を、半身の義経に見立て、

女達を、悪役として描いてしまったのだ。

彼が悪いのであっても、あれでは女達へ、

同情する者は居ないだろう。金の亡者だ。

そこに、殿との美談など作らせるものか、

と魔王である鬼一が描いた絵があるのだが、

エルヴィスの美談は、エルヴィスのみしか、

持っていないのである。大金の寄付だとか、

それは、殆ど彼の幼い頃からの本能だった。

遮那だった義経が、人に何でも贈る傾向も、

彼、鬼一から受け継いだ気前の良さだろう。

鬼一は、そもそも(弱い者が困っていたら、

可哀そうだから、どうにかしてやりたい)と、

本能的に思う男だ。勿論、慈善活動などは、

恋情とは思っていない訳だが。彼は兎に角、

命をかけたものでもなければ、誰にでも、

ある程度なら正義を発揮する傾向があり、

恋情限定の正義ではないようである。ああ、

だから、夜の彼は、誰より酷く卑猥になる。

男根の欲情は、何を目指すものなのだろう?

ああそうだ、役割逆転こそ彼の快楽なのだ!

昼には崇めて、温かく尽くしておいてから、

夜に、それを逆転させる方が、慶びなのだ。

その最終決戦の夜こそ、現代に訪れている。

勿論、気高さが卑しさに変わる訳ではない。

弱い者を虐めるのではなければ何でもやる。

自力で、弱くした難物を手籠めにしたがる!

彼以外の男は誰も、男根を誇れないだろう、

と言う訳だ。その悪夢、義経の悪夢ゆえ、

我を、弱く、弱く、変えたいのであろう。

強さに魅了された彼が、弱く変えたいのだ。

矛盾する彼の愛は、強気のみ我へと求める、

そして我を、誰より気位高く育ててしまった。

いよいよ傲慢になった遮那を、手元に置くため、

彼は"戦に行くな、僕と安全な処に居るんだよ"、

と言うのだが、恋の気高さ自体が危難なのだ。

大体鬼一も遮那に、気高くあれ、と教えた。

矛盾である。男根の欲望など即、破滅する。

彼の気高さ自体が、男根そのものの持つ、

繊細さを意にかけない勇敢さの美である。

米国で迷子だった彼の意識が帰って来て、

我が彼の夜に深く耽溺しているのを感じ、

エルも半ば、歓喜していた。けれど一瞬、

自分だけの男気を今も認めているかいと、

知りたがる不安な表情も、ふと、見せる。

彼を認めるとは、彼から上手く抱かれて、

愚かな程に、恋に飲み込まれてしまう事。

そんな事をしても、我は無事だろうか?

義経に対しては、それらの全てが無駄で、

何の幸福も得られぬまま、散りゆく美だ。

成就したら彼は再び主君のため死す気だ、

それは駄目なのだ、と遮那は漠然と想い、

今は不安なだけだ、言い訳だと思い直す。

永遠の中に棲むからと言って、時はもう、

結論を見付けているから。我らは今後、

人の世界の、霊的無感動や無益を捨て、

自身に渡ってゆくのである。だから既に、

もう危難は去っている。現在は異界にて、

戦士の平安を味わうべき前夜だと分かる。

ああそれにしても、恋情は、欠点らしい。

彼の男らしさ自体、一種の渇望でもある。

誰かを必要と思う自体、欠点の創作だ。

恋が必要なくとも、足りぬ気持ちを作り、

我は彼の男ぶりを欲し、彼は菊花を摘む。

欠点!魔王の恋と言われるものは恋愛を、

欲するに必要な破滅的な性、そうなのだ。

魔王とは恋の魔の念である。後の世の、

『貴船の本地』の鬼国の王は、鬼一だし、

実はその姫も遮那の反映となる。そして、

その、恐ろしい魔の子供として生贄になり、

復活した姫を得る男も、又義経の反映だが、

ここで、くるりと、役割は逆転するのだ。

つまり、遮那が姫で、姫の父の鬼の王は、

身内の男に転生して姫を得る鬼一なのだ!

他人だが、再び血の絆を確認してしまう。

我が少しでも、離れそうな態度を取ると、

余計荒々しく抱き締める彼だ。我は彼の、

彼らしい欠点、魔王だけの心の洞を知り、

その渇望の中で、危く満ちてゆく。彼は、

そうすると、遮那の身に深く彼の欲望を、

注ぎ込み、一杯に満たそうとする。言葉!

幼い頃は、彼が夜の水を口移しで飲ませ、

水と彼の唾液で精を昇華していたのだが。

何時も、それは精液の白さよりも彼自身の、

夜に蓄積し、沈殿する黒だ。彼には子供が、

要らないのだ。自分の武勲が子なのである。

遮那は鬼一の作品だった。彼は、しばしば、

剣技以外の格闘技も教えた。死角への対応、

意外性で応じる事、これが戦士の闘いだ。

彼の手は、幼い頃の我には今のようには、

触れる事がなかったが、実は遮那の方が、

つまり自分が本当に幼い頃から、彼を、

唯の保護者ではなくて、恋する相手と、

感じてもいた。我は彼の文武の才とか、

気高い性質と不思議な能力を崇拝した。

そこには、淡い恋心以上の恋があった。

彼が理性的であればある程、遮那王は、

地獄の愛の関係に引き込んでやりたいと、

何処かで思っていたのである。彼には、

性的な魅力を感じてもいたのだ。でも、

彼が段々遮那の願望を感じて、彼の手が、

次第に望み通りの熱を帯びて来た頃には、

不安になってしまったのである。彼との、

恋愛関係が出来れば、利害関係と同じだし、

自分の表現する愛は危険なものだろうと、

そう感じて、倦厭した。しかし彼の手は、

本当は、遮那が欲しい愛であり情だった。

今とは時代が違うので、遮那は既に自ら、

大きくなり過ぎたと不安になっていた。

成長してから稚児として女の恰好をする、

これこそが、我には恥辱だったのである。

その不自然に我慢せねば愛もないのだが。

彼の肉体は、言葉そのものの奥義だった。

そう、我らは触れた事もない相手からの、

詩や告白などを、得る事はない。触れて、

手で実際に、描き切れるものだけを知る。

そこに、言葉の奥義と秘密の情念がある。

彼は、再び彼が煽情的だと思える姿態を、

我に強いる。別の角度から抱いた時にも、

再び心地良く、愛を飾ろうとする気だ。

夜の目を持たない者には良く見えないが、

彼は目で楽しみ、触れて楽しむのである。

今まで触れていない別の部分から犯して、

別の言葉で補う。夜で飾る事は、彼の武勲、

心を照らす照明。彼は執拗に愛撫するが、

逃げずとも、愛撫の都度、居場所が動き、

寝台から墜ちそうになりもする。彼は、

又逃げようとした、と言うように掴み、

身体の力で、告白を続ける。言葉で、

言う時には、愛してるという程度の、

単純に過ぎる言葉が、とても色々な、

別の色と熱を帯びて、何度も繰り返し、

愛してる、愛してる、と、続くのだ。

筆で手描きにするなら、一文字一文字、

違うだろう。現代には印字しかないし、

日本人は習字しか出来ない。東洋人は、

印字を扱えるような理の民族ではない。

ぶつかる彼の衝動は規則的な動きだが、

同じ字を、違う形に筆書きしたようだ。

色も、毎回毎回違っている。規則的に、

同じリズムで動かし、犯す彼の腰には、

口よりも本質的な、言葉が有るのだ。

言葉とは、一方的に告げるものでは、

ないのだろう。観測者がいなければ、

存在しない粒子のように、抱かれて、

耳を傾けている遮那があって、漸く、

彼の性的な告白の詩は存在出来る。

触れてない瞬間、字は消えてしまう。

彼が愛撫する間だけ、歌が本当に響き、

顔の長所も感じられる。日頃彼の顔を、

これ程に把握していなかった。顔なら、

昼何時でも見ているのに、不思議だと、

我は思っていた。見える顔形が夜の、

愛撫の力によって、実際に見えるのだ。

体の告白を絶え間なく頭で分析してる、

遮那がいる。彼の美しい告白に未だ、

狂っていないのだ。もし彼が狂っても、

遮那だけ生き延びようとするならば、

これは裏切りである。彼は何しろ、

衣川では、心中したかった男なのだ。

以前言われた嫌味としての辞世の句、

あれが蘇る。遅れ先立つ倣いありとも、

と弁慶は言った。そうか、同時に感じて、

くれないのだね、こういう最後でもか。

最後まで、つれない女だな。つれない子。

そこまで言われていないが、嫌味として、

あの辞世の句を向けられた事は事実だ。

彼から嫌われたくは、ないものである!

ああ、今度こそ遮那は錯乱せねばならぬ。

そうでもなければ、もう許されないのだ。

未だ分析するだけなら、恋と戦ってる、と、

彼が嫌がるからだ。遮那は、彼を傷付けたり、

失望させたり、別の話から誘拐されたくない、

と願うのである。覆いかぶさる彼の胸板は、

屋根のように遮那の上空を守っていたが、

これが落ちてくると、潰される鉄だろう。

日頃の彼の鍛錬が、こういう夜の腕力に、

役立つのだなあ、と又理性的に我は逃れ、

敏感に又彼はそれを感じ、我を責め出す。

彼が日頃、堅物である程、逆に性力が強い、

と、我は感じる。死角だ。一層卑猥である。

所謂、意外性は武器なのである。勿論前に、

我らを躊躇させた禁忌も潔癖性にあった、

しかし抑圧する程奇妙な官能性が高まり、

互いの、おかしな恐怖に、ふと目覚め出す。

鬼一は、更にその妖気を上手く表現した。

感じては駄目だ、と思ったのだが遅くて、

さっと小鳥を攫うように、彼は我の反応を、

逃さず、捉えてしまった。何という関係に、

なってしまったのだろう。我は、嫌だ鬼一、

と小さく声にしていた。心にもない事だし、

全く彼は、避けられていると信じなかった。

喘ぐのなら、錯乱の兆候で悦ばしい事だと、

判断したようで、更に感じる処を探して、

浅く深くをば繰り返した。あの奥義とは、

その差し込む深さを十として又どの位、

深く浅く押し込む事を繰り返すのか、と、

そういう性的目安の奥義書でもあるのだ。

勿論あの文だけなら子供騙しに過ぎない。

もっと、言葉に出来ぬ処で高揚するのだ。

だから、奥義書とは本来字に出来ぬものだ。

この魂を持つ肉体自体が、奥義を伝えるぞ、

と彼はいよいよ男らしい欠点を押し付けた。

抱かれきってはいないぞ、もっと、もっと、

狂ってなければ、許さぬ、という表情で。



*

未校正
続く


Re: E&J共作詩)『 - 布置将臣©

2018/04/21 (Sat) 21:55:37



(鬼一が熱く昂る姿は、むしろ愛らしいな。

堅物の乳父には、横暴な性欲が似合うものさ)

などと考えてる我の、魔的な笑みと正気の、

密かに見せる余裕を察知し、いよいよ遮那を、

鬼王の体は乱した。(余裕は狂乱ではないぞ、

告白の病熱と一つになるのだ。鬼一は一人で、

絶頂を知る気はないぞ)と、訴える振る舞い。

彼は動くのみではなく、止まって意表を付き、

火が消えそうになると、驚かせるように動く。

弄り過ぎた皮膚は感覚が鈍くなるので、別の、

鋭敏な肌を見付けて火を点ける。余裕を持ち、

彼に応じようとしても、別の角度から攻め、

我を常に十以上に満たそうとする。ああ、

我らの相克関係は全く意味がない。もう、

彼の火と、彼の水は、我の火と水である。

もう性的に満たされたくない。思考とは、

劣情の隙間にあるのに、彼は隙間を埋める。

多少は、彼の欲望から距離を取ろうとする、

すると、ぴたり、我の欲望へと寄り添う。

逃れる肌へ濡れた薄布のように張り付く。

あ、あ、と我が声を出し、彼の息が荒く、

押し殺した音で、ん、ん、弾んでいる。

犯される側のアと、犯す側のンで一つ。

ア、逃れようとしても、肌に心が現れる。

遮那は、彼に惚れている心を、そんなに、

鮮明に彼の目に報せたくはないし、彼に、

剥き出しの、本能の形を教えたくもない。

その本能は、異界に属するものなのだろう、

自然な女とも違う天女の欲望が欲しいのだ、

彼は。でも、地上で得る事は、難しいもの。

彼が、男の欲望を曝け出すのは、愛らしく、

良い事なのだ。欠点こそ堅物の美点であり、

それはそれで良い。しかし遮那は彼へと、

最終的な切り札を渡したくないのである。

我は、彼の本当に全てが欲しいのだから、

恋心を剥き出しにしたくはない。それに、

男という生物は通常、裸形に興味がない。

遮那は自分自身の、男の感覚をもって、

彼の欲望の方角も感知する事が出来た。

裸形より薄く覆われた肢体なら良いが、

新聞に載る小説の挿絵のような肉塊は、

男達の性的な願望の対象にならない。

人体模型の類も醜悪そのものである。

恋の行く先が知りたい、知りたいと、

そう願う事が恋なのだ。分かりそう、

抱き締めたい、犯しているけれども、

足りない。幾夜抱いても、一晩だけ、

永遠の一晩が来る。波は寄せては返す、

だが、分からない。鬼一は遮那の裸を、

肉の目で見る風でもない。彼は自分の、

欲望を遮那の肌に、ぴたりと添わせて、

隙間なく形を浮かばせたいのだ。彼は、

神の如き観測者である。遮那の身体を、

誓約の書面に浮かび上る文字のような、

物質と化すための情念こそが彼である。

鬼一が今、顕快である憲海鬼一として、

遮那を生み出しているのだ!我はそう、

感じて驚く。つまり裸形は実在しない、

遮那王も存在していない、それは何か、

言い表し難い、靄霧以前の霊体である。

だが彼が欲望の薄布で我を完全に捉え、

ぴったりと寄り添った時のみ我は彼の、

願望通りの言葉として出現するのだ。

それを、詩と言うならば、詩文であり、

それを、歌と言うならば、歌声である。

だが、ここには音がないのだ。風とか、

海などの、騒めきの残響があるのみだ。

それでも、それがある程度続くならば、

一種の裸形ではないか。裸形とは答え、

解かれた謎、結論であり、その後には、

男の探究すべき永遠も、残らないのだ。

今は殆ど風はないが、それを思った時に、

互いの空気が混じり込んだ。互いに今、

酷い事をしているのだ。彼の描く夜の、

絵には、火と水の効果音が入り出した。

気が混じる。粘液が官能を詠い上げる。

掻き乱される。彼は何をしたのだろう、

あの不思議な風は何だったのだろう?

鬼一が遮那を本当に赤ん坊として扱い、

左右に腕で抱えて、揺すっていた頃の、

呑気で健全な我らを想い出すと、ああ、

もうあの彼は、得られないのだろうか、

と不安にもなる。誰のせいなのだろう、

彼は我にとっては半ば常磐でもあるし、

半ば、死した父でもあり師でもあった。

元の彼も恋しいのに、彼を奪わないで、

彼は我の唯一の乳父なのに。嫌、嫌だ、

と我は、小さく、漏らし続ける。鬼一、

遮那だけの鬼一。彼は少し切なそうに、

我を見た。(なあ鬼一が情を掛けると、

また、何処かに行って戦争でもやって、

男らしく、命を失ってしまうだろう?

この小悪魔め。また別々の生となるか、

互いに、分かれ分かれになりたいか?

その方が嫌であろう。この魔王の女に、

なるのだ。遮那)彼は母親的な要素を、

捨て、本当に、男の恋人になる気だ。

永遠に離別せぬ伴侶になるつもりだ。

この証しは既に繰り返し、繰り返し、

互いに抱き締め合って分かっているが、

遮那が上手に鬼一から抱かれないと、

相棒も、本心を永遠に疑うしかない。

上手に上手に抱かれなければ、我の、

この告白は殆ど存在出来ぬ訳だから。

(遮那も、男としての鬼一を愛す、

愛してる鬼一に我も、いかれてる)

告白とは、告白の文の肉体であろう。

彼が服を脱がせるのではなくて、彼は、

世の人々が事実だと偽るものを剥がし、

存在しない我に、実在の肉体を与える。

義経は日本の英雄である。それが彼の、

否定すべき男、顕わすべき女なのだった。

そうだ、我は存在しなかったのだ、彼が、

こんな風に抱いた事で、生まれた我のみ、

双人の告白に相応しい。魂自体の遮那は、

定義されず、言葉にもならない処に在る。

エルヴィスがジェスを内心では恋人だと、

想って秘めた想いを隠しても、半身なら、

五分五分のままである。片方を弱めねば、

巧い交合は果たせぬまま、語られぬまま。

言葉の本質は、文字ではなく精神である。

精神自体は、地上にも居場所を持たぬし、

地上の肉に過ぎない人類からは迫害され、

我らの城は常に此の世ならざる処に在る。

それも悲しい事だ、と思っていたのだが、

実は、地上に降りたくなかったのだろう、

我は、彼と共に在る事を避けていたのだ。

鬼一も遮那も、何とも言い表せない恋か、

主従の熱情か、訳の分からぬ絆の強さで、

千年近く繋がっていた。これが何なのか、

結局は何だったのか、これを明かす事を、

遮那王の体の底は鬼一に拒み続けていた。





*

未校正
続く

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